・・・しかし事情はこれを書かなければ、もう一刻の存在も苦痛なほど、切迫して参りました。ここで私は、ついに断乎たる処置を執る事に、致したのでございます。 そう云う必要に迫られて、これを書いた私が、どうして、狂人扱いをされて、黙って居られましょう・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・「切迫詰って、いざ、と首の座に押直る時には、たとい場処が離れていても、きっと貴女の姿が来て、私を助けてくれるッて事を、堅くね、心の底に、確に信仰していたんだね。 まあ、お民さん許で夜更しして、じゃ、おやすみってお宅を出る。遅い時は寝・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ 随分それまでにもかれこれと年季を増して、二年あまりの地獄の苦がフイになっている上へ、もう切迫と二十円。 盆のことで、両親の小屋へ持って行って、ものをいう前にまず、お水を一口という息切のする女が、とても不可ません、済ないこッてすがせ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・恐らく今日の切迫した時代では到底思い泛べる事の出来ない畸人伝中の最も興味ある一節であろう。 椿岳の女道楽もまた畸行の一つに数うべきである。が、爰に一つ註釈を加えねばならないのは元来江戸のいわゆる通人間には情事を風流とする伝襲があったので・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 産婆の世話で、どこかの病院かで産まして、それから下宿の下の三畳の部屋でもあてがって、当分下宿で育てさせる――だいたいそうと相談をきめてあったのだが、だんだん時期の切迫とともに、自分の神経が焦燥しだした。「あなたの奥さんのうちは財産・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。彼は立ち停まると激しく肩で息をした。ある切ない塊が胸を下ってゆくまでには、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 日清の間が切迫してくるや、彼はすぐと新聞売りになり、号外で意外の金を儲けた。 かくてその歳も暮れ、二十八年の春になって、彼は首尾よく工手学校の夜学部に入学しえたのである。 かつ問いかつ聞いているうちに夕暮近くなった。「飯を・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・第三期に這入って帝国主義戦争が間近かに切迫して来るに従って、ブルジョアジーは入営する兵士たちに対してばかりでなく、全国民を、青年訓練所や、国家総動員計画や、その他あらゆる手段をつくして軍国主義化しようと狂奔している。そして、それはまた、労働・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・などと言われる事の恥ずかしさに、私は、どんなに切迫した自分の仕事があっても、立って学生たちを迎えるような傾向が無いわけでもなかったらしい。そんなに誠意のあるウエルカムではなかったようだ。卑劣な自己防衛である。なんの責任感も無かった。学生たち・・・ 太宰治 「新郎」
・・・頭の冷静な場合にはそんな事はないとしても、切迫した事態のもとに頭が少し不透明になった場合には存外ありそうな事だと思う。 この事件は見方によっては頭のよくない茶目のいたずらとも見られる。しかしまた犯罪心理学者の研究資料にもなれば、科学的認・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
出典:青空文庫