・・・ 一つ、別に、この畷を挟んで、大なる潟が湧いたように、刈田を沈め、鳰を浮かせたのは一昨日の夜の暴風雨の余残と聞いた。蘆の穂に、橋がかかると渡ったのは、横に流るる川筋を、一つらに渺々と汐が満ちたのである。水は光る。 橋の袂にも、蘆の上・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・一方が広々とした刈田との境に、垣根もあったらしいが、竹も塀もこわれごわれで、朽ちた杭ばかり一本、せめて案山子にでも化けたそうに灰色に残って、尾花が、ぼうと消えそうに、しかし陽を満々と吸って、あ、あ、長閑な欠伸でも出そうに、その杭に凭れている・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・同時にばたばたと飛び立った胸黒はちょうど真上に覆いかかった網の真唯中に衝突した、と思うともう網と一緒にばさりと刈田の上に落ちかかって、哀れな罪なき囚人はもはや絶体絶命の無効な努力で羽搏いているのである。飛ぶがごとく駈け寄った要太の一と捻りに・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・要太郎を見ると向うの刈田の中をいかにも奇妙な腰付で網の中程を握って走っている。すると精が「居る居る――要太郎があんなに走り出したらきっと鴫が居る」と云う。なるほど要太郎は一心に田の中の一点を凝視めてその点のまわりを小股に走りながらまわってい・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
出典:青空文庫