・・・ 朝窓をあけたら、黄色い初冬の草の上にまだらな淡雪があった。 杉林の中の小さいステーション。わきの丘の上に青と赤、ペンキの色あざやかな農業機械が幾台も並んでいる。古い土地がいかに新しい土地となりつつあるか。ソヴェトが五ヵ年計画で四〇・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・雄々しい小禽と一房の梢を前景として、初冬の雲が静かに蒼空の面を掠め、溶け合い、消え去って行く。――私はひとりでに、北方の山並を思い起した。今頃は、どの耕野をも満して居るだろう冬枯れの風の音と、透明そのもののような空気の厳かさを想った。底冷え・・・ 宮本百合子 「餌」
その家は夏だけ開いた。 冬から春へかけて永い間、そこは北の田舎で特別その数ヵ月は歩調遅く過ぎるのだが、家は裏も表も雨戸を閉めきりだ。屋根に突出した煙の出ぬ細い黒い煙突を打って初冬の霰が降る。積った正月の雪が、竹藪の竹を・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・が、モスクワの初冬の空気をツン裂いて、「ああインターナショナル」と歌われたとき、あらゆる国語の差別は消え全く一団の燃える声となって八方に響き渡った。 第二回革命作家国際会議がモスクワでもたれず、ハリコフ市で行われたのも、五ヵ年計・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・やっと一九四六年の初冬から、はっきり「伸子」にひきつづく作品として「二つの庭」を書きはじめ、「二つの庭」につづくものとして「道標」一部、二部、いまは第三部のおわり三分の一ばかりのところにいる。予定では、あと三巻ばかりの仕事がある。「伸子・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・もし人間に無条件に通じ合う愛というものがあり得るなら、こうやって初冬の晴れた大空を劈いて休戦を告げる数百千の汽笛が鳴り渡るとき、どうして人々は敗けて、而も愛するものを喪った人々の思いを察しようとしないのだろう。歓呼のうちに自分の声も合せなが・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ どうもはっきりしないまま、その日は夕方から母に連れられて、俥に永いこと乗って古田中さんのお家へ上った。芝の清正公のそばの二階のあるお家であった。 初冬の時節ででもあったのではなかったろうか。二階のお座敷は賑やかで、夫人のほかに、若・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・多くの黎明と夕暮が過ぎた。初冬が来た。昼間と夜とがいきなり続くほど暮れ方が短くなった。 そういう一つの遽しい夕方、雄鳩は独り家に入った。人気なく、部屋への障子が開け放されている。彼は飢を感じた。麦のある戸棚の方へ飛び立った時、雄鳩は再び・・・ 宮本百合子 「白い翼」
・・・ おかぼの穂がみのり、背高いキビが野趣にみちて色づき初冬に近づいたこの頃、大理石の鴎外はべつのかぶりものをもった。それはアンペラである。丁寧に、繩の結びめも柔かくアンペラで頭部をかくまわれた。雪と霜とで傷められるのに忍びないのであろう。・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・美術学校の左側の塀を越して、紅葉した黄櫨の枝がさし出ている。初冬の午後の日光に、これがほんとに蜀紅という紅なのだと思わせて燃えている黄櫨の、その枝かげを通りすがりに、下から見上げたら、これはまた遠目にはどこにも分らなかった柔かい緑のいろが紅・・・ 宮本百合子 「図書館」
出典:青空文庫