・・・一九二九年の春から十二月初旬までパリ、ロンドン、ベルリンなどに行ったが。 モスクワでの生活と、その生活の感銘をもって比較しずにいられなかったロンドンやパリ、ベルリンの生活から、作者は真に資本主義社会の生活と社会主義社会での生活との相異を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・ 十月初旬から中旬にかけて、モスクワ地方赤軍の演習があった。ロカフは演習へ参加するために積極的にプロレタリア作家を召集した。二十数名参加した。若い作家ばかりとは限らなかった。六十七歳のセラフィモーヴィッチが出かけた。「ツシマ」の作者ノヴ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・その時は、オリザニンの注射その他の治療で直そうとし、大して苦情なく暮すようになって、貴方に初めてお目にかかれた十二月初旬には、もう自分の体のことなどお話する必要なく感じて居たのでした。今度は淀橋にいた時から注意をそこに集めていましたが徐々に・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・どんな慙愧の念をもって、昨年十月初旬、治維法の撤廃された事実を見、初めて公表された日本支配権力の兇暴に面をうたれたことだろう。 民主的な社会生活の根本には、人権の尊重という基底が横わっている。人権尊重ということは、正当な思想を抑圧して小・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・来る八月初旬に再び大規模の公聴会がひらかれるであろう。 四、東宝のその後。 日本の民主化とともに最も積極的に従業員組合を組織し、文化的に娯楽的に優秀な映画を製作してきた東宝第一組合が「焔の男」製作企画について経営者側と対立したこ・・・ 宮本百合子 「今日の日本の文化問題」
・・・ 十一月初旬の或日やや Fatal な日のこと。梅月でしる粉をたべ。 午後久しぶりでひる風呂、誰もいず。髪をあらう、そのなめらかな手ざわりのなごやかさ。 日当ぼっこ、髪かわかしカンス椅子 ・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ 桃色と赤のスイートピー ◎銀座の六月初旬の夜、九時すぎ ◎山崎の鈍く光る大硝子飾窓 ◎夕刊の鈴の音、 ◎古本ややさらさの布売の間にぼんやり香水の小さい商品をならべて居る大きな赧髭のロシア人 ◎気がつ・・・ 宮本百合子 「一九二三年夏」
・・・三月初旬に、Yは大腸カタールをした。家にいては食物の養生が厳格に行かない。「病院へ入る方がいいのよ、」と私が云った。「そう――だが温泉に行きたいな。」この一言が、我々を九州まで運ぶ機縁になろうと誰が思いがけよう。「温泉て――何処?」「別府ど・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・十二月初旬、湯浅芳子と共にソヴェト・ロシアへ出発した。十二月十五日モスクワに着く。一九二八年単行本『伸子』が改造社から出版された。春「モスクワの印象」。秋「赤い貨車」をモスクワから送った。この夏、八月一日、故国で・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 九月の初旬、母は、憤って私を呼びつけられた。 如何程、熱心と誠意とで説明しただろう。 自分は、一大危機に面して居るのを覚えた。どうかして、彼女に理解し、納得して貰わなければならない。芸術家としての一生には、此から、猶此様なこと・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫