私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧そ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔談だね……いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。 そこでと、第・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・器具は特別に芸術家の手を煩わして図案をさせたものである。書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品に、硝子鐘が被せてある。物を書く卓の上には、貴重な文房具が置いてある。主人ピエエルが現代に始めて出来た精神的貴族社会・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・焼き場というても一寸した石が立っておる位で別に何の仕掛けもない。唯薪が山のように積んである上へ棺を据えると穏坊は四方から其薪へ火をつける。勿論夜の事であるから、炎々と燃え上った火の光りが真黒な杉の半面を照して空には星が一つ二つ輝いでおる。其・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうと・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ 女中はハイハイとうけ合って居たっけがそのまんま忘れて午後になって見ると大根の切っ端やお茶がらと一緒に水口の「古馬けつ」の中に入って居る。「オヤオヤヘエー」って云いたい気になった。 別に腹も立たない。 其のまんまに仕て置く。・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・膝のあたりを格別に拡げるのは、刈り入れの時、体躯のすわる身がまえの癖である。白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・そしてそう思うのが、別に絶望のような苦しい感じを伴うわけでもないのである。 ある時は空想がいよいよ放縦になって、戦争なんぞの夢も見る。喇叭は進撃の譜を奏する。高くげた旗を望んで駈歩をするのは、さぞ爽快だろうと思って見る。木村は病気という・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・早くここでその熱度さえ低くされるなら別に何のこともないが、なかなか通常の人にはそのように自由なことはたやすく出来ない。不思議さ、忍藻の眼の中には三郎の俤が第一にあらわれて次に父親の姿があらわれて来る。青ざめた姿があらわれて来る。血、血に染み・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・けれども別に何の悔い心も起らなかった。ただ彼は自分の博愛心を恋人に知らす機会を失つたことを少なからず後悔した後で、それほどまでも秋三に踊らせられた自分の小心が腹立たしくなって来た。が、曽て敵の面前で踊った彼の寛大なあのひと踊りの姿は、一体彼・・・ 横光利一 「南北」
・・・――しかしこれだけなら別にあなたに訴える必要はないのです。あなたに聞いていただかなければならない事は、その後一時間ばかりして起こりました。それは何でもない小さい出来事ですが、しかし私の心を打ち砕くには十分でした。 私は妻と子と三人で食卓・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫