・・・そして、すぐに紙を出して、花や草を描いてみましたが、やはりすこしもいい色が出なくて、まったく少年の描いたのとは別物であって、まずく汚なく自分ながら見られないものでありました。光治は、まもなく自分の心をなぐさめた唯一の笛をなくしてしまったこと・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・不注意なわれわれ素人には花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と扁葉樹との二色ぐらいか、せいぜいで十種二十種にしか区別ができないのに、花が咲いて見るとそこに何か新しい別物が生まれたかのように感じるものらしい。無理な類推ではあるが人間の個性も、・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・馬鹿を一遍通って来た利口と始めからの利口とはやはり別物かもしれないのである。外国の文化にかぶれたものが、もう一遍立帰って来たときに始めて日本固有の文化の善い所が新しい眼で見直されるということもあるかもしれないのである。・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・たとえば雑音を防止するために従来のステュジオが役に立たなくなるとか、実際の雑音はまるで別物に変わるから適当な擬音を捜すとか、動き回る役者の声をどうして録音するかというようないろいろの問題が、単なる技術上だけの問題でなくて、映すべき素材の上に・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・とは形式ばかりでなく内容的にも大分ちがった別物とは思いますが、こういう新しい詩形に固有な新しい詩の世界を創造して行くのは面白いことだろうと思われます。それにはもう少し誰にも分かりやすい言葉で誰の頭にもぴんと響くようなものを捕えて来るのが捷径・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・そうして一時は仏説などの因果の考えとは全く背馳する別物であるかのように見えたのが、近ごろはまた著しい転向を示して来て、むしろ昔の因果に逆もどりしそうな趨勢を示すようにも見られるのである。 要するに科学の基礎には広い意味における「物の見方・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・この目で手近な平凡なものをのぞいて見ると自分のいる周囲の世界が急に全然別物のように見えて来る。これは物の尺度の相違から来る観照の相違である。写真機の目の特異性はこれとはまただいぶちがった方面にある。この目はまず極端な色盲であって現実の世界か・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・しかし自分が電車で巡り合った老子の虚無は円満具足を意味する虚無であって、空っぽの虚無とは全く別物であった。老子の無為は自覚的には無為であるが実は無意識の大なる有為であった。危険どころかこれほど安全な道はないであろう。充実したつもりで空虚な隙・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・alius と vel とは別物であるのに、どちらも日本の「アル」に似ているからおもしろい。英語の or でも少しは似ている。Skt. の「または」「あるいは」は athawa である。 ロシアで「すなわち」というような意味で、zn・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・ この始めての自画像を描く時に気のついたのは、鏡の中にある顔が自分の顔とは左右を取りちがえた別物であるという事である。これは物理学上からはきわめて明白な事であるが写生をしているうちに始めてその事実がほんとうに体験されるような気がした。衣・・・ 寺田寅彦 「自画像」
出典:青空文庫