・・・ところが、べつの意味でもっけの倖いだったのはむしろマダムの方で、彼女は星の動きにつれて椅子のバネを利用しながらだんだん首を私の首の方へ近づけて来たかと思うと、いきなりペタリと頬をつけ、そして口に口を合わせようとした。私は起ちあがると、便所へ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・私はその響きを利用していい音楽を聴いてやろうと企てたことがありました。そんなことから不知不識に自分を不快にする敵を作っていた訳です。「あれをやろう」と思うと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に発見するようになりました。然し悪く疲れてい・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こうした行為をする者が将来社会・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・支那人は、警戒兵が寝静まったころを見はからって、その自然を利用した。 かつては、この地点から、多くの酒精が、持ちこまれてきた。ウオッカの製造が禁じられていた、時代である。支那人は、錻力で特別に作らせた、コルセット様の、ぴったりと人間の胴・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・うまい口上を並べて自分に投票させ、その揚句、議員である地位を利用して、自分が無茶な儲けをするばかりであることを、百姓達は、何十日となく繰返えして見せつけられて来た。 だから、投票してやるからには、いくらでも、金を取ってやらなければ損だ、・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・生霊、死霊、のろい、陰陽師の術、巫覡の言、方位、祈祷、物の怪、転生、邪魅、因果、怪異、動物の超常力、何でも彼でも低頭してこれを信じ、これを畏れ、あるいはこれに頼り、あるいはこれを利用していたのである。源氏以外の文学及びまた更に下っての今昔、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ このように非凡の健康と精力とを有して、その寿命を人格の琢磨と事業の完成とに利用しうる人びとにあっては、長寿はもっとも尊貴にしてかつ幸福であるのは、むろんである。 しかも、前にいったごとくに、こうした天稟・素質をうけ、こうした境界・・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・かけ出した各消防署のポンプも、地震で水道の鉄管がこわれて水がまるで出ないので、どうしようにも手のつけようがなく、ところにより、わずかに堀割やどぶ川の水を利用して、ようやく二十二、三か所ぐらいは消しとめたそうですが、それ以上にはもう力がおよば・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・筑摩書房の古田氏から、井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰と・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・この頭のいい映画監督は、この文楽の人形芸術のうちから、必ず何物かを拾いあげて自分の芸術に利用したのではなかったかと想像される。 もっとも、文楽をいくらかでも理解するためには、義太夫のわかるということが必要条件であって、義太夫を取り除いた・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫