・・・ やがて子供が相当の年頃になると、男の子は神様の祭りや祈祷の言葉を教えられたり、女の子は機織り、刺繍などを教えられます。何れも古風な仕つけ方であります。また今日では内地人のような教育を受けている者もあって一様には申されません。アイヌ婦人・・・ 宮本百合子 「親しく見聞したアイヌの生活」
切角お尋ねを受けましたが、私は何も手芸を存じません。編物や刺繍の或る物はひとのしている様子、出来上り等見るのを愛しますけれども。 非常に不器用で困ります。〔一九二二年八月〕・・・ 宮本百合子 「手芸について」
・・・母親や娘は、彼女等の手芸、刺繍、パッチ・ウワーク等を応用して、暇々に、新たな壁紙に似合う垂帳、クッション、足台等を拵える。 公共建築や宮殿のようなものは例外として、中流の、先ず心の楽しさを得たい為に、居心地よい家を作ろうとするような者は・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・これまでは、刺繍だの金銀泥が好きなだけつかえて、染料の不足もなかったから、玄人とすればいろいろ技法を補い誇張する手段があった。ところが、統制になって、そういう補助の手段が減って来たために、専門家は愈々純粋の染色技術で行かなければならなくなっ・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ かなり細っかい美くしさ――私はわざとここにかなり細っかいと云う言葉が必要だと思うから入れる――に於て我国古来の刺繍、蒔絵などは成功して居ると思う。 一目見ては人の目を引かないものの中にひそむ美は、私がこの上もなく大切にも思い又嬉し・・・ 宮本百合子 「繊細な美の観賞と云う事について」
・・・ そして、台の左右には、まるで掌に乗れそうな体のお爺さんが二人、真赤な地に金糸で刺繍をした着物を着、手には睡蓮の花を持って立っています。あたりには、龍涎香を千万箱も開けたような薫香に満ち、瑪瑙や猫眼石に敷きつめられた川原には、白銀の葦が・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・字が読めない中国の女も、必ずそれは巧みであるとされている中華刺繍の一片は、絹の糸のよりかたから、糸目の並べかた、色の配合、すっかりそれはフランスの刺繍と違う。アメリカのドローン・ワアクとも違っている。違うことにある美しさ、美しさ故に世界の心・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・鼠色の長い着物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランのついた、おもちゃのような蝙蝠傘を持っている。渡辺は無意識に微笑をよそおってソファから起きあがって、葉巻を灰皿に投げた。女は、附いて・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・彼の寝衣の背中に刺繍されたアフガニスタンの金の猛鳥は、彼を鋭い爪で押しつけていた。と、見る間に、ナポレオンの口の下で、大理石の輝きは彼の苦悶の息のために曇って来た。彼は腹の下の床石が温まり始めると、新鮮な水を追う魚のように、また大理石の新し・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・この二つが長となり短となり千種万種の波紋を画く、人事はこの波紋を織り出した刺繍に過ぎぬ。 社会には美しい方面がある。しかしこれを汚さんとする悪の勢力ははなはだ強い。一人の遊冶郎の美的生活は家庭の荒寥となり母の涙となり妻の絶望となる。冷た・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫