・・・ 次のは、剃りたての頭の青々とした綺麗な出家。細面の色の白いのが、鼠の法衣下の上へ、黒縮緬の五紋、――お千さんのだ、振の紅い――羽織を着ていた。昨夜、この露路に入った時は、紫の輪袈裟を雲のごとく尊く絡って、水晶の数珠を提げたのに。――・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ お前もおれも何思ったか無精髭を剃り、いつもより短く綺麗に散髪していた。お前の顔も散髪すると存外見られると思ったのは、実にこの時だ。 おれは変にうれしくなってしまい、「日本一の霊灸! 人ダスケ! どんな病気もなおして見せる。▽▽旅館・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・中風で寝ている父親に代って柳吉が切り廻している商売というのが、理髪店向きの石鹸、クリーム、チック、ポマード、美顔水、ふけとりなどの卸問屋であると聞いて、散髪屋へ顔を剃りに行っても、其店で使っている化粧品のマークに気をつけるようになった。ある・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・年とった看護婦は部屋を片付けながら、「小山さんがお亡くなりになる前の日に、頭を剃りたいというお話がありましたっけ。お家の方に聞いてからでなくちゃと言いましてね、それだけは私がお止め申しました。病院にいらっしゃる間は、よくお裁縫なぞもなさ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 或とき彼は、自分の顔を剃る理髪人が、「おれはあの暴君の喉へ毎朝髪剃りをあてるのだぞ。」と言って、人に威張ったという話をきき、すっかり気味をわるくしてその理髪人を死刑にしてしまいました。そして、それからというものは、もう理髪人をかか・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・少年も、もう、いまでは鬚の剃り跡の青い大人になって、デカダン小説と人に曲解されている、けれども彼自身は、決してそうではないと信じている悲しい小説を書いて、細々と世を渡って居ります。昨年まずしい恋人が、できて、時々逢いに行くのに、ふっと昔のお・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・鬚の剃り跡の青い、奇怪の嬰児であった。 とみにとんと背中を押されて、よろめき、資生堂へはいった。ボックスにふたり向い合って坐ったら、ほかの客が、ちらちら男爵を盗み見る。男爵を見るのではなかった。そんな貧弱な青年の恰好を眺めたって、なんの・・・ 太宰治 「花燭」
・・・高橋は、両の眉毛をきれいに剃り落していました。能面のごとき端正の顔は、月の光の愛撫に依り金属のようにつるつるしていました。名状すべからざる恐怖のため、私の膝頭が音たててふるえるので、私は、電気をつけようと嗄れた声で主張いたしました。そのとき・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・佐伯は私の実行力を疑い、この企画に躊躇していたようであったが、私は、少年の逡巡の様を見て、かえって猛りたち、佐伯の手を引かんばかりにして井の頭の茶店を立ち出で、途中三鷹の私の家に寄って素早く鬚を剃り大いに若がえって、こんどは可成りの額の小遣・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・風呂へはいって鬚を剃り、それから私は、部屋の炉の前に端然と正座した。新潟で一日、高等学校の生徒を相手にして来た余波で私は、ばかに行儀正しくなっていた。女中さんにも、棒を呑んだような姿勢で、ひどく切口上な応対をしていた。自分ながら可笑しかった・・・ 太宰治 「佐渡」
出典:青空文庫