・・・僕はね、軍隊で、あんまり殴られるので、こっちも狂人の真似をしてやれと思って、工夫して、両方の眉を綺麗に剃り落して上官の前に立ってみた事さえありました。」「そりゃまた、思い切った事をしたものだ。上官も呆れたろう。」「呆れていました。」・・・ 太宰治 「母」
・・・大本教主の頭髪剃り落した姿よりも、さらに一層、みるみる矮小化せむこと必せり、 学問の過尊をやめよ。試験を全廃せよ。あそべ。寝ころべ。われら巨万の富貴をのぞまず。立て札なき、たった十坪の青草原を! 性愛を恥じるな! 公園の噴水・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・眉ふとく、鬚の剃り跡青き立派な男じゃないか。私は、多少狼狽して、その本を閉じ、そっと本棚へ返して、それからまた、なんということもない。頬杖ついて、うっそりしている。怠けものは、陸の動物にたとえれば、まず、歳とった病犬であろう。なりもふりもか・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・頭はむさ苦しく延び煤けているかと思うと、惜しげもなくクリクリに剃りこぼしたままを、日に当てても平気でいる。 着物は何処かの小使のお古らしい小倉の上衣に、渋色染の股引は囚徒のかと思われる。一体に無口らしいが通りがかりの漁師などが声をかけて・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・いつでもちゃんとした礼装をして、頭髪を綺麗に分けて、顔を剃り立てて、どこの国の一流のレストランのボーイにもひけを取らないだけの身嗜みをしていた。 何もこの男に限らない事ではあるが、私はすべてのレストランのボーイというボーイの顔のどこかに・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・頭を綺麗に剃り小紋の羽織に小紋の小袖の裾を端折り、紺地羽二重の股引、白足袋に雪駄をはき、襟の合せ目をゆるやかに、ふくらました懐から大きな紙入の端を見せた着物の着こなし、現代にはもう何処へ行っても容易には見られない風采である。歌舞伎芝居の楽屋・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・口に燈を呼ぶ声や春の雨白梅や墨芳ばしき鴻臚館宗鑑に葛水たまふ大臣かな実方の長櫃通る夏野かな朝比奈が曽我を訪ふ日や初鰹雪信が蝿打ち払ふ硯かな孑孑の水や長沙の裏長屋追剥を弟子に剃りけり秋の旅鬼貫や新酒の中の貧に処・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・やがて、髭の剃りあとも青く母の側に立って「気狂い親爺」と父を罵り、子の権利を主張した息子たち。それらの息子等の生活態度に反対しつつ、抽象的に人格の自由を重んじ無抵抗ならんとした心持が一つの矛盾となって、現実的な形での対立は固持し得なかった一・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・お洒落ではなかったが、髭は必ず毎朝剃り、カラアは毎朝とりかえ、ホワイト・シャツも一日おき位にとりかえ、そのホワイト・シャツのカフス・ボタンをはめるのが私の役でした。その頃は今のようにソフトをつかわず、西洋洗濯から糊がごわごわについてテラリと・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・前文隈本の方へは、某頭を剃りこくりおり候えば、爪なりとも少々この遺書に取添え御遣し下され候わば仕合せ申すべく候。床の間に並べ有之候御位牌三基は、某が奉公仕りし細川越中守忠興入道宗立三斎殿御事松向寺殿を始とし、同越中守忠利殿御事妙解院殿、同肥・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫