・・・やろうとしたが、矢張お召縮緬の痩躯な膝と、紫の帯とが見ゆるばかりで、如何しても頭が枕から上らないから、それから上は何にも解らない、しかもその苦しさ切無さといったら、昨夜にも増して一層に甚しい、その間も前夜より長く圧え付けられて苦しんだがそれ・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ 点呼の前夜、私は遂に長髪に別れを告げて丸刈りになった。そしてその夜私は大阪市内の親戚の家に泊った。私は点呼の訓練は寄留地の分会で受けたが、点呼は本籍地で受けねばならなかった。 点呼令状によれば点呼を受ける者は午前七時に点呼場へ出頭・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ その前夜から、雨まじりのひどい颶風であった。面会の時間はかなりの早朝だったから、原稿を書く仕事で夜ふかしする癖の私は、寝過さぬ要心に、徹夜して朝を待つことにした。うっかり寝てしまうと、なかなか思った時間に眼が覚めないと心配したからだ。・・・ 織田作之助 「面会」
・・・高い土手の上に子守の小娘が二人と職人体の男が一人、無言で見物しているばかり、あたりには人影がない。前夜の雨がカラリとあがって、若草若葉の野は光り輝いている。 六人の一人は巡査、一人は医者、三人は人夫、そして中折れ帽をかぶって二子の羽織を・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・「然かし能くしたもので、その翌日少女の顔を見ると平常に変っていない、そしてそのうっとりした眼に笑を含んで迎えられると、前夜からの心の苦悩は霧のように消えて了いました。それから又一月ばかりは何のこともなく、ただうれしい楽しいことばかりで…・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ まず、食事たびごとに飯をたいてみた。なにしろ、外米はつめたくなると一そうパラつくのである。 前夜から洗っておいて、水加減を多くし、トロ火でやわらかくそしてふきこぼれないようにたいてみた。 小豆飯にたいてみた。 食塩をいれて・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・シベリアへ来るため、乗船した前夜、敦賀で一泊した。その晩のことを思い出したりした。その港町がなつかしく如何にもかゞやかしく思い出された。何年間、海を見ないことか! 二人は、シベリアへ来てから、もう三年以上、いや五年にもなるような気がしていた・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・ 出発の前夜には、おげんは一日も離れがたく思う娘の側に居て、二人で一緒に時を送った。「お新や、二人で気楽に話さまいかや。お母さんは横に成るで、お前も勝手に足でもお延ばし」 とおげんは言って、誰に遠慮もない小山の家の奥座敷に親子し・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・は、私も二つ三つ、つたない作品を発表していて、或る朝、井伏さんの奥様が、私の下宿に訪ねてこられ、井伏が締切に追われて弱っているとおっしゃったので、私が様子を見にすぐかけつけたところが、井伏さんは、その前夜も徹夜し、その日も徹夜の覚悟のように・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・女房コンスタンチェが決闘の前夜、冷たいピストルを抱いて寝て、さてその翌朝、いよいよ前代未聞の女の決闘が開始されるのでありますが、それについて原作者 EULENBERG が、れいの心憎いまでの怜悧無情の心で次のように述べてあります。これを少し・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫