一 加州石川郡金沢城の城主、前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持って行った。当時有名な煙管商、住吉屋七兵衛の手に成った、金無垢地に、剣梅鉢の紋ぢらしと云う、数寄を凝らした・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ 猿股を配ってしまった時、前田侯から大きな梅鉢の紋のある長持へ入れた寄付品がたくさん来た。落雁かと思ったら、シャツと腹巻なのだそうである。前田侯だけに、やることが大きいなあと思う。 罹災民諸君が何日ぶりかで、諸君の家へ帰られる日・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・「いるさ。いるよ。家にいるよ。」 それから、三十分くらい経って、「ごめん下さい。」 と玄関で女のひとの声がして、私が出て見ると、それは三鷹の或るおでんやの女中であった。「前田さんが、お見えになっていますけど。」「あ、・・・ 太宰治 「父」
・・・ある人の話では、元来あすこに泉があったのを、前田家の先祖が掘り下げて、今の形にしたのだそうである。そう言えば池の西北隅から水がわいているらしい。そのへんだけ底に泥がなくて、砂利が露出している事は、さおでつついてみるとわかる。あの池から、一つ・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・とあるのはたぶん前田邸の正門の意味かと思われる。 もちろん仰向けに寝ていて描いたのだと思うがなかなか威勢のいい地図で、また頭のいい地図である。その頃はもう寝たきりで動けなくなっていた子規が頭の中で根岸の町を歩いて画いてくれた図だと思うと・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・としてあるのは前田邸の正門であろう。 脚腰の立たない横に寝たきりの子規氏の頭脳の中にかなり明確に保存されていた根岸の地理の一つの映像としてこれも面白いものの一つであろうと思う。この辺も区劃整理で昔の形が消えてしまうかどうか知りたいもので・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・そうして、着京後間もなく根岸の鶯横町というのを尋ねて行った。前田邸の門前近くで向うから来る一人の青年が妙に自分の注意を引いた。その頃流行った鍔の広い中折帽を被って縞の着物、縞の羽織、それでゴム靴をはいて折カバンを小脇にかかえている、そうして・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・何でも上根岸八十二番とか思うていたが家々の門札に気を付けて見て行くうち前田の邸と云うに行当ったので漱石師に聞いた事を思い出して裏へ廻ると小さな小路で角に鶯横町と札が打ってある。これを這入って黒板塀と竹藪の狭い間を二十間ばかり行くと左側に正岡・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ 前田家のような大大名の藩で発達した文化が、能・茶の湯、宗教では禅であるということも意味がある。当時の社会生活から一応は游離して、精神と富との避難所としての文化が辛うじて生きのびた。 僅に、九州や中国の、徳川からの監視にやや遠い地域・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
「生」の科学と文学 随分古いことになるが、モウパッサンの小説に「生の誘惑」というのがあり、それを前田晁氏であったかが訳して出版された。私は十四五で、その小説を熱心に読んだ。なかに、パリの社交界で華美な・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
出典:青空文庫