・・・はたして、ひとたまりもなかった。前足でころころポチをおもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん意気地がなくなるものらしい。ポチは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようにな・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・それがどうかして時おり移動したくなるとひょいと逆立ちをして麻痺した腰とあと足を空中高くさし上げてそうして前足で自由に歩いて行く。さすがに猿だけのことはあるのであるが、とにかくこれもオリジナルである。 吸っていた巻き煙草の吸いがらを檻の前・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ライオンが自動車のタイアを草原に見いだして前足でつついてみては腹を立ててうなる場面は傑作である。ライオンがふきげんであればあるほど観客は笑うのである。もしか自分がライオンだったら、この不都合な侵入者らに対してどんなに腹の立つことであろう。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・女が空中から襲って来て「妖女はその馬の前足をあげて被害の馬の口に当ててあと足を耳からたてがみにかけて踏みつける、つまり馬面にひしと組みつくのである」。この現象は短時間で消え馬はたおれるというのである。この二説は磯氏も注意されたように相互に類・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・子ねこがかくしから首と前足を出して見物しているのが愉快である。その次は火事のほうがとうとう降参して「ごめんください、クジマさん」とあやまる。クジマが「今後はペチカとランプと蝋燭以外に飛び出してはいけないぞ」と命令する場面で、ページの下半には・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・もう一つは毛深い熊があと足を前に投げ出してすわっている、それが首と前足とを動かして滑稽な格好をして踊りだすと腹の中でオルゴールのかわいらしい音楽が聞こえて来るのである。 父がもしかしたら、どれか一つは買ってくれるかと思っていたが、ねだる・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・それから子供の時分に見世物で見た象が、藁の一束を鼻で巻いて自分の前足のひざへたたきつけた後に、手ぎわよく束の端を口に入れて藁のはかまをかみ切った、あの痛快な音を思い出したりした。しかしなぜこの種類の音が愉快であるかという理由はどう考えてもわ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・猫はあきらめてあまりもがきもしなかったが、前足だけ出してやると、もう逃げよう逃げようとして首をねじ向けるのであった。小さな子供らはこの子猫を飼っておきたいと望んでいたが、私はいいかげんにして逃がしてやるようにした。わが家に猫を飼うという事は・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・そして自分が裸になるのを見てそこに脱ぎすてた着物の上にあがって前足を交互にあげて足踏みをする、のみならず、その爪で着物を引っかきまたもむような挙動をする。そして裸体の主人を一心に見つめながら咽喉をゴロゴロ鳴らし、短いしっぽを立てて振動させる・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 今朝方、暁かけて、津々と降り積った雪の上を忍び寄り、狐は竹垣の下の地を掘って潜込んだものと見え、雪と砂とを前足で掻乱した狼藉の有様。竹構の中は殊更に、吹込む雪の上を無惨に飛散るの羽ばかりが、一点二点、真赤な血の滴りさえ認められた。・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫