・・・後足で立って前足を胸に屈めていつまででも立つことが出来た。そうして何か欲しいといっては長い舌を出してぺろりぺろりと自分の鼻を甞めた。太十が庭へおりると唯悦んで飛びついた。うっかり抱いて太十はよく其舌で甞められた。赤は太十をなくして畢ってぽさ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶ける事なり。嘶く声の果知らぬ夏野に、末広に消えて、馬の足掻の常の如く、わが手綱の思うままに運びし時は、ランスロットの影は、夜と共に微かなる奥に消えたり。――われは鞍を敲いて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体が鉄道馬・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・とまる。とまる前足に力余りて堅き爪の半ばは、斜めに土に喰い入る。盾に当る鼻づらの、二寸を隔てて夜叉の面に火の息を吹く。「四つ足も呪われたか」とウィリアムは我とはなしに鬣を握りてひらりと高き脊に跨がる。足乗せぬ鐙は手持無沙汰に太腹を打って宙に・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢と刻み込んだ。 こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。 女はあっと云って、緊めた手綱を一度に緩めた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向へ前へのめった。岩の下は深い淵であった。 蹄の跡はいまだに岩の上に残・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ところが象が威勢よく、前肢二つつきだして、小屋にあがって来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。 ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・あいつはふざけたやつだねえ、氷のはじに立ってとぼけた顔をしてじっと海の水を見ているかと思うと俄かに前肢で頭をかかえるようにしてね、ざぶんと水の中へ飛び込むんだ。するとからだ中の毛がみんなまるで銀の針のように見えるよ。あっぷあっぷ溺れるまねを・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 鹿のめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交る交る、前肢を一本環の中の方へ出して、今にもかけ出して行きそうにしては、びっくりしたようにまた引っ込めて、とっとっとっとっしずかに走るのでした。その足音は気もちよく野原の黒土の底の方までひ・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・豚はぴたっと耳を伏せ、眼を半分だけ閉じて、前肢をきくっと曲げながらその勘定をやったのだ。 20×1000×30=600000 実に六十万円だ。六十万円といったならそのころのフランドンあたりでは、まあ第一流の紳士なのだ。いまだってそうかも・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・斑猫はそのコップをよけ、前肢をそろえ髭をあおむけ、そっと葉っぱを引っぱっては食っている。ふさふさした葉が揺れるだけだ。音もしない。日本女はもう二時間そうやって寝ている。 猫はとうとうテーブルへとびあがった。これは日本女を不安にした。鉢植・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
出典:青空文庫