・・・ 毎日の生活に関係の深いいろいろな社会の出来ごとについて、正しい知識を得るとともに、本当に私たちの婦人雑誌として可愛く思う『働く婦人』が、創刊されたのは、今より十四年前一月のことでした。空色の地に明るい表情の婦人車掌の姿が描かれた表紙で・・・ 宮本百合子 「再刊の言葉」
『働く婦人』の三月号がとどいた。『働く婦人』がはじめて創刊されたのは一九三二年一月のことだった。その四号から、翌年発行が出来なくなるまで、佐多稲子さんが中心になって随分な努力をしたものだった。このごろ出版協会の文化委員会に出・・・ 宮本百合子 「さしえ」
・・・また「『戦旗』創刊と対立するもの」として、『近代生活』『文芸都市』が、「非左翼的同人雑誌のうちの最も有力な作家を集めてつくった集団」を目ざして、創刊されているのでもないということである。特集ルポルタージュ「鋳物の街・川口の表情」「地の平和の・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・大正十四年『文芸戦線』が創刊されて、プロレタリア文学の理論は、一層広汎に活溌に展開され始めたが、芸術作品に何よりも先ずその社会的意味をさぐろうとするその態度に反撥した一部の新進作家によって「新感覚派」の運動が起されたのが大正十三年であった。・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 今日の現実の再検討については、新年に創刊号を出した綜合雑誌『生きた新聞』が、注意をひく二つの論文をのせている。村松五郎氏「幽霊ファッショ論」がその一つである。日本に純粋な資本主義独裁はないから、従ってファッシズムもない、という主張・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・という小説は、『新日本文学』創刊号からのせられはじめまして、本年前半期において、一般から注目される価値を示した作品でした。徳永さんの御都合で中絶した面もあるでしょうが、ともかくそれは中断されたままになりましたし、だいたい、評論にしろ、どうし・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・の規定について、ふみこんだ討議がされないままに、『勤労者文学』が創刊された。民主主義文学の理論にたずさわる人まで既成の熟語のように「勤労者文学」という言葉を用いるようになった。そういう事情いかんにかかわらず、『勤労者文学』は、この二年の間、・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
最近、一つの示唆に富んだ経験をした。この頃は、いろいろなところで新しい雑誌の発行や本の出版計画がある。或る書房が、文化・文学雑誌の創刊をすることとなって、原稿をたのまれた。時間がなくて、すぐその希望には応じかねた。けれども・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
・・・『働く婦人』が創刊された時、第一号のトップに満州事変に抗議する記事を書いたのは、わたしでした。『戦旗』がどんなに田中内閣の侵略的意図を批判していたでしょう。しかしグルーは、日本人の中にそういう熱い思いが生きており、弾圧されていることを知りま・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ 一月創刊以来、実に働く婦人の多くから愛読され、支持され、月ごとに雑誌の内容もよくなって来た。『働く婦人』発刊記念の夕べは、こういうわれらの婦人雑誌の誕生と正しい発展とを、みなさんとともによろこぶためばかりではない。折から三月八日の国際・・・ 宮本百合子 「日本プロレタリア文化連盟『働く婦人』を守れ!」
出典:青空文庫