・・・けれども階級的な作家の一つの経験であると思って翌年一月の創刊号から三月号まで編輯した。それ以後は佐多稲子が責任者となった。即ち四月に私が検挙されたことが責任者の交替をもたらしたのであった。この年は非常に多くの紹介・啓蒙の文筆活動を行った。旅・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・この中で『働く婦人』がともかく一月に創刊第一号を発行した。『働く婦人』創刊号は、十二月二十五日前後に市場にでると間もなく発禁をくった。『働く婦人』二月号もひきつづき発禁にあった。これはブルジョア・地主の官憲が、日本プロレタリア文化運動の・・・ 宮本百合子 「婦人雑誌の問題」
・・・文学と感覚 自分は文芸春秋の創刊当時から屡々感覚と云う言葉を口にして来た。しかし、これは云うべき時機であるが故に云ったにすぎない。いつまでも自分は感覚と云う言葉を云っていたくはない。またそれほどまでに云うべきことでは勿論ない・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫