・・・将校が一々号令をかけているのが滑稽の感を少なからず助長するのであった。 船首の突端へ行って海を見おろしていると深碧の水の中に桃紅色の海月が群れになって浮遊している。ずっと深い所に時々大きな魚だか蝦だか不思議な形をした物の影が見えるがなん・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・この理窟を素人流に応用すると、歯を噛み合わせる動作によって緊張努力の気持が幾分かは助長されるという効果があるのかもしれない。 顎の張った人は意志が強いというから、始終チューインガムを噛んで顎骨でも発育したらあるいは意志が強くなるというの・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・しかし弓の毛にも多少のむらがあるのみならず、弓の根もとに近いほうと先端に近いほうとではいろいろの関係がちがうから、そういう変化にも臨機に適当に順応して自由な弦の運動を助長し一様に平滑によい音を出すためには、ただ機械的に一定圧力一定速度で直線・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・同時にまた自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助長する結果にもなるはずである。自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物とし・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・色彩は余分の刺激によって象徴としての暗示の能力を助長するよりはむしろ減殺する場合が多いであろう。 それはとにかく材料の選択と取り合わせだけではまだ発句はできない。これをいかに十七字の容器に盛り合わせるかが次の問題である。この点において・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・自分は教育家でないが、ただ自分一己の経験から推して考えれば、既に初学の時代にこの種の暗示を与える方が却って理解と興味を助長し研究的批評的の精神を鼓吹するのではないかと思う。実際、物理学教科書にある方則と寄宿舎の規則との区別を自覚している生徒・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・思いつきはやはり愛護し助長させるべきであろう。 これらはきわめて平凡なことである。それにかかわらずここでわざわざこういうことを事新しく述べ立てるのは、現時の世界の物理学界において「すべてを量的に」という合い言葉が往々はなはだしく誤解され・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・ もう一つ問題になるのは、卓上演説があまりはやると、ついつい卓上気分を卓上以外に拡張するような習慣を助長して、卓上思想や卓上芸術の流行を見るようになりはしないかという事である。識者の一考を望みたい。 三 ラディオフォビア・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・そうして彼の恐怖心を助長し且つ惑乱した。彼は全く孤立した。 其日は朝から焦げるように暑かった。太十は草刈鎌を研ぎすましてまだ幾らもなって居る西瓜の蔓をみんな掻っ切って畢った。そうして壻の文造に麦藁から蔓から深く堀り込んでうなわせた。文造・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・けれどもそれが道心を沈滞せしめて向下堕落の傾向を助長する結果を生ずるならばそれは作家か読者かどっちかが悪いので、不善挑撥もまたけっしてこの種の文学の主意でない事は論理的に証明できるのである。したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫