・・・両人は多年の労苦に老い疲れていた。山も田も抵当に入り、借金の利子は彼等を絶えず追っかけてきた。最後に残してあった屋敷と、附近の畑まで、清三の病気のために書き入れなければならなくなった。 清三は卒業前に就職口が決定する筈だった。両人は、息・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ わが子の労苦をねぎらおうとする心から、思わず私は自分で徳利を持ち添えて勧めた。若者、万歳――口にこそそれを出さなかったが、青春を祝する私の心はその盃にあふれた。私は自分の年とったことも忘れて、いろいろと皆を款待顔な太郎の酒をしばらくそ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・長い労苦と努力とから生まれて来たものとして、髪も白さを増すばかりのような私の年ごろに、受けてやましい報酬であるとは思われなかった。 しかし、私も年をとったものだ。少年の時分から私は割合に金銭に淡白なほうで、余分なものをたくわえようとする・・・ 島崎藤村 「分配」
一月二十二日。 日々の告白という題にしようつもりであったが、ふと、一日の労苦は一日にて足れり、という言葉を思い出し、そのまま、一日の労苦、と書きしたためた。 あたりまえの生活をしているのである。かくべつ報告したいこ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・私は、兵隊さんの泥と汗と血の労苦を、ただ思うだけでも、肉体的に充分にそれを感取できるし、こちらが、何も、ものが言えなくなるほど崇敬している。崇敬という言葉さえ、しらじらしいのである。言えなくなるのだ。何も、言葉が無くなるのだ。私は、ただしゃ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・奥さんを憎まず怨まず呪わず、一生涯、労苦をわかち合って共に暮して行くのが、やっぱり、あなたの本心の理想ではなかったのかしら。あなたは、すぐにお帰りなさい。」竹青は、一変して厳粛な顔つきになり、きっぱりと言い放つ。 魚容は大いに狼狽して、・・・ 太宰治 「竹青」
・・・その並み並みならぬ労苦は世人の夢にも知らない別世界のものである。そんなことを無意識に考えたためでもあろうか、この水準点ベンチマークの鋲の丸いあたまに不思議な愛着のようなものを感じてちょっとさわってみないではいられなかったのである。 水準・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・最後に、鴎外は、外見には労苦の連続であった「お佐代さんが奢侈を解せぬ程おろかであったとは誰も信ずることが出来ない。また物質的にも、精神的にも、何物をも希求せぬほど恬澹であったとは誰も信ずることが出来ない。お佐代さんには慥に尋常でない望みがあ・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・ブルジョア社会制度の下のプロレタリアート数千万の女性にとって、母性は彼女らにより生き易き権利を与えるどころか、明白に日々の労苦の門だ。生存そのものをさえおびやかしている。 ターニャを見ろ! 日本女は自分の中に眠っている母性がそのため・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・それにもかかわらず、全般的に女が置かれている社会的な地位が低いことは、家庭の中にも現れて、良人、子供のために身を削る労苦多い妻、母としての毎日の生活が女に与えられている。「子は三界の首っ枷」という俗間の言葉は、日本の従来の家庭の内部をまこと・・・ 宮本百合子 「子供のために書く母たち」
出典:青空文庫