・・・漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少な・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 本塾に入りて勤学数年、卒業すれば、銭なき者は即日より工商社会の書記、手代、番頭となるべく、あるいは政府が人をとるに、ようやく実用を重んずるの風を成したらば、官途の営業もまた容易なるべく、幸にして資本ある者は、新たに一事業を起して独立活・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・すでに誉れなく、また利益なし、何のために辛苦勤学したるやと尋ねらるれば、ただ今にても返答に困る次第なれども、一歩を進めて考うれば説なきにあらず。 すなわち余は日本の士族の子にして、士族一般先天遺伝の教育に浴し、一種の気風を具えたるは疑も・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・木村氏はそのおり臼井の邸に向いし一人なりしが、刃にちぬるに至らず、六郎が東京に出でて勤学せんといいしときも、親類のちなみありとて、共に旅立つこととなりぬ。六郎は東京にて山岡鉄舟の塾に入りて、撃剣を学び、木村氏は熊谷の裁判所に出勤したりしに、・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫