・・・その手つきが、また見せつけんばかりに勿体振っていた。「それゃ、偽札じゃないか!」 彼は、剣吊りに軍刀をつろうとして、それを手に持っていた。「でも、この通り、ちゃんと通用するんだよ。」メリケン兵は、また札を二三枚抜いてパチパチ指で・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・(チョコレエトを一匙飲む。物体チョコレエトを飲むのは薬だわ。お前さんの好きな色の着物を着せられたとして見ても、それも好い事よ。その着物をわたしの着たのを見て、わたしをあの人が可哀がってくれるから好いわ。兎に角勝ったのはわたし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・崖の下に、黒い物体を認めた。小さい犬ころのようにも見えた。そろそろ崖を這い降りて、近づいて見ると、かず枝であった。その脚をつかんでみると、冷たかった。死んだか? 自分の手のひらを、かず枝の口に軽くあてて、呼吸をしらべた。無かった。ばか! 死・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、袂につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考えている。そうし・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・一瞬にして、ふたつの物体が、それこそ霞をへだてて離れ去り得る、このなんでもない不思議が、きこりには解けなかったのであろう。 それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・二人の問題にしているのはかれ自身のことではなくて、ほかに物体があるように思われる。ただ、この苦痛、堪え難いこの苦痛から脱れたいと思った。 蝋燭がちらちらする。蟋蟀が同じくさびしく鳴いている。 黎明に兵站部の軍医が来た。けれどその・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・いずれも立派なものであるが、その中の一つが相対論の元祖と称せられる「運動せる物体の電気力学」であった。ドイツの大家プランクはこの論文を見て驚いてこの無名の青年に手紙を寄せ、その非凡な着想の成効を祝福した。 ベルンの大学は彼を招かんとして・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・分子の集団から成る物体を連続体と考えてこれに微分方程式を応用するのが不思議でなければ、色の斑点を羅列して物象を表わす事も少しも不都合ではない。 もう少し進んで科学は客観的、芸術は主観的のものであると言う人もあろう。しかしこれもそう簡・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・ない「勿体臭く」ないものであった。 学生の数も少なかったから図書室などもほとんど我物顔に出入りして手当り次第にあらゆる書物を引っぱり出してはあてもなく好奇心を満足しそうなものを物色した。古い『フィル・マグ』〔Philosophical ・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・深水は最初に彼らしい勿体ぶりと、こっちが侮辱されるような、意味ありげな会釈をのこして、小径のむこうに去っていったが、三吉は何故だかすこし落ちついていた。二人きりになってしまったのに、さっきまでの、何ときりだすかという焦慮と不安は、だいぶうす・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫