・・・私たちの性格は両親から承け継いだ冷静な北方の血と、わりに濃い南方の血とが混り合ってできている。その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ ついに、あの生活の根調のあからさまに露出した北方植民地の人情は、はなはだしく私の弱い心を傷づけた。 四百トン足らずの襤褸船に乗って、私は釧路の港を出た。そうして東京に帰ってきた。 帰ってきた私は以前の私でなかったごとく、東京も・・・ 石川啄木 「弓町より」
一 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。 北方の海の色は、青うございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。 雲間から・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
一 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。 北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。 雲間から洩れ・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 北方派の画家等にして、南欧の明るい風光に、一たび浴さんとしないものはない。彼等は、仏蘭西に行き、伊太利に行くを常とした。しかし、そこはまた、彼等にとって、永住の地でなかったのである。伊太利の空を描いても、知らず北欧の空の色が、描き出さ・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・ 空想はいかに自由であるといっても、現実に立脚するものです。北方の土地に生れた子供達には、南国の自然や、生活は、たとい書物で見たり、話できいたりしても、真に分るものではないのです。そして、それを幾何でも分るようにするには、芸術の力を・・・ 小川未明 「新童話論」
北方の海は銀色に凍っていました。長い冬の間、太陽はめったにそこへは顔を見せなかったのです。なぜなら、太陽は、陰気なところは、好かなかったからでありました。そして、海は、ちょうど死んだ魚の眼のようにどんよりと曇って、毎日雪が降っていまし・・・ 小川未明 「月と海豹」
・・・ 二 北方の国境の冬は、夜が来るのが早かった。 にょきにょきと屋根が尖った、ブラゴウエシチェンスクの市街は、三時半にもう、デモンストレーションのような電灯の光芒に包まれていた。 郊外には闇が迫ってきた。 ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・四線で南に着き、それからなお二百キロ北方に進んだ。 兵士達は、執拗な虱の繁殖になやまされだした。「ロシヤが馬占山の尻押しをしとるというのは本当かな?」もう二十日も風呂に這入らない彼等は、早く後方に引きあげる時が来るのを希いながら、上・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・飯綱は元来山の名で、信州の北部、長野の北方、戸隠山につづいている相当の高山である。この山には古代の微生物の残骸が土のようになって、戸隠山へ寄った方に存する処がある。天狗の麦飯だの、餓鬼の麦飯だのといって、この山のみではない諸処にある。浅間山・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫