・・・孫の成長とともにすっかり老いこみ耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手を引っぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の新派連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車に敷かれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かっ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ この力が千日前を、心斎橋を、道頓堀を、新世界を復興させたのだ。――と、しかし私はあわてているわけではない。なるほど、これらの盛り場は復興した。政府や官庁に任せて置けば、バラック一つ建ちようのない世の中で、自分たちだけの力でよくこれだけ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・が結婚したという噂をきいて、それきり顔もみなかったが、最近私は千日前の自安寺で五年振りに「亀さん」と出会った。 千日前自安寺の境内にある石地蔵のことを、つい近頃まで知らなかったのは、うかつだった。浄行大菩薩といい、境内の奥の洗心殿にはい・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・南海通にもあくどいペンキ塗りのバラックの飲食店や闇商人の軒店や街頭賭博屋の屋台が並んでいて、これが南海通かと思うと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声のする方をひょいと見ると、元「波屋」があった所のバラ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・机の上の用紙には、(千日前の大阪劇場の楽屋の裏の溝 と、書出しの九行が書かれているだけで、あと続けられずに放ってあるのは、その文章に「の」という助辞の多すぎるのが気になっているだけではなかった。その事件を中心に昭和十年頃の千日前の風・・・ 織田作之助 「世相」
・・・の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。芸者を連れて行くべき店の構えでもなかったから、はじめは蝶子も択りによってこんな所・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 南海通の波屋書房の二、三軒先き、千日前通へ出る手前の、もと出雲屋のあったところに、ハナヤという喫茶店が出来ていた。 ハナヤはもと千日前の弥生座の筋向いにあった店だが、焼けてしまったので、この場所へ新らしくバラックを建てたらしかった・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・下味原町から電車に乗り、千日前で降りると、赤玉のムーラン・ルージュが見えた。あたりの空を赤くして、ぐるぐるまわっているのを、地獄の鬼の舌みたいやと、怖れて見上げ、二つある入口のどちらからはいったものかと、暫くうろうろしていると、突如としてな・・・ 織田作之助 「雪の夜」
出典:青空文庫