・・・』 秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取り上げた。その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと同じことで他人にはわからないのだから。』といっても大津は秋山の・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・それを手にして堤下を少しうろついていたが、何か掘っていると思うと、たちまちにして春の日に光る白い小さい球根を五つ六つ懐から出した半紙の上に載せて戻って来た。ヤア、と云って皆は挨拶した。 鼠股引氏は早速にその球を受取って、懐紙で土を拭って・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・障子にはめてある硝子には半紙が貼ってあって、ハッキリ中は見えなかったが、女はいなかった。龍介は入口の硝子戸によりかかりながら、家の中へちょっと口笛を吹いてみた。が、出てこない。その時、龍介はフト上りはなに新しい爪皮のかかった男の足駄がキチン・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」 においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。 蜜蜂の羽音かも知れない。 四月十一日の春・・・ 太宰治 「春昼」
・・・私が読書している隣りの室で、八重子と宗二とがひそひそ話し合っては、宗二が何か半紙へ書いていると思ったら、それは八重子作の御伽噺を兄が筆記しているのであった。出来上がったのを見ると、ずいぶん色々の文章や歌があった。長男のは感想的のもので姉や弟・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ベンチの上にはしわくちゃの半紙が広げられて、その上にカステラの大きな切れがのっている。「あんな女の子がほしいわねえ」と妻がいつにない事を言う。 出口のほうへと崖の下をあるく。なんの見るものもない。後ろで妻が「おや、どんぐりが」と不意に大・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・ 五厘銅貨など諸君は知らないかも知れぬが、いまの一銭銅貨よりよっぽど大きかったし、五厘あると学校で書き方につかう半紙が十枚も買えた。私はこんにゃく一つ売って一厘か一厘五毛の利益だったし、五十みんな売っても五六銭にしかならない。 とこ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 千朶山房の草稿もその晩年『明星』に寄せられたものを見るに無罫の半紙に毛筆をもって楷行を交えたる書体、清勁暢達、直にその文を思わしむるものがあった。 わたしはしばしば家を移したが、その度ごとに梔子一株を携え運んで庭に植える。啻に花を・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・どういう訳か逗子へ半月ばかり行っていた時の事を半紙二帖ほどに書いたものが、今だに自分の手篋の底に保存されてある。成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付け・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢を二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処によって平たい嚢と長い嚢と各必要がある。それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に・・・ 正岡子規 「死後」
出典:青空文庫