・・・少年時代には藩兵として東京に出ていたが、後に南画を川村雨谷に学んで春田と号した。私が物心ついてからの春田は、ほとんどいつ行っても絵をかいているか書を習っていた。かきながら楊枝を縦に口の中へ立てたのをかむ癖があった。当時のいわゆる文人墨客の群・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・は心の風通しのよい自由さを意味する言葉で、また心の涼しさを現わす言葉である。南画などの涼味もまたこの自由から生まれるであろう。 風鈴の音の涼しさも、一つには風鈴が風に従って鳴る自由さから来る。あれが器械仕掛けでメトロノームのようにきちょ・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・をかきながら、自分の文学のリアリズムに息がつまって、午前中小説をかけば午後は小説をかくよりももっと熱中して南画をかき、空想の山河に休んだということは、何故漱石のリアリズムが彼を窒息させたかという文学上の問題をおいても、大正初期の日本文化の一・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・二科や院展がはじまったから新しいエハガキを御覧にいれましょう。南画会が小室翠雲と関西派との衝突で解散した由。残暑をお大切に。本当にお大切に。 九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 九月十一日 第十一信 き・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・別に、鴨居から一幅、南画の山水のちゃんと表装したのがかかっていた。瀧田氏は、ぐるぐる兵児帯を巻きつけた風で、その前に立ち、「どうです、これはいいでしょう」と云った。筆の細かい、気品のある、穏雅な画面であった。「誰のです」「そ・・・ 宮本百合子 「狭い一側面」
・・・ ○南画的な勁い樹木多し、古、榧、杉◎南天、要、葉の幅の広い方の槇、サンゴ樹それから年が経て樹の幹にある趣の出来てた やぶこうじの背高いの南天特に美し。 ○川ふちの東屋、落ちて居た椎の実、「椎の実 かやの実たべたので」 かや・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・蜜柑、橙々の枝もたわわに実ったのを見たら、岡本かの子の歌を連想した。南画的樹木多し。私達の部屋の障子をあけると大椎樹の下に、宿の吊橋が見える。十二月二十九日 昨日の天候は特別であった由。今日は寒い。隣の尺八氏のところへ、客あり。・・・ 宮本百合子 「湯ヶ島の数日」
出典:青空文庫