・・・と傲語した椿岳は苔下に会心の微笑を湛えつつ、「そウら見さっしゃい、印象派の表現派のとゴテ付いてるが、ゴークやセザンヌは疾っくに俺がやってる哩」とでも脂下ってるだろう。 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・でない生活をして、そのうちに、世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の画には、さほど感心せず、このたびは日本の元禄時代の尾形光琳と尾形乾山と二人の仕事に一ばん眼をみはりました。光琳の躑躅などは、セザンヌ、モネー、ゴー・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・解析型と直観型あるいは構成派と印象派といったような二つに分けられはしないか。そう簡単にはゆかないまでも、少なくもこういうふうに考えてみることによってこの二つの映画の了解を助けることにはなるであろうと思われる。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・それほどではなくてもまつ毛一本も見残さずかいた、金属製の顔にエナメルを塗ったような堅い堅い肖像よりは、後期印象派以後の妙な顔のほうが少なくもねらい所だけはほんとうであるまいかと思われてくる。この考えをだんだんに推し広げて行くと自然に立体派や・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・このような点はある支那人や現代二、三の日本画家の作品にも認められるのみならず、また西洋でも後期印象派の作などにおいて瞥見するところである。あるいは却って古代の宗教画などに見られて近代のアカデミー風の画には薬にしたくもないところである。ルーベ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・歴史及び伝説中の偉大なる人物に対する敬虔の心を転じて之を匹夫匹婦が陋巷の生活に傾注することを好んだ。印象派の画家が好んで描いた題材を採って之を文章となす事を畢生の事業と信じた。後に僕は其主張のあまりに偏狭なることを悟ったのであるが、然し少壮・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その時分すでにミュンヘン市の美術界は、フランス印象派の影響が支配的になっていた。ミュンヘンで催された国際美術展をみて、ケーテはドイツの従来の絵画が現代生活をとり入れることと、新鮮な色彩感を導き入れるという点では、はるかに他国の画家よりおくれ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・マネ、モネ、ピサロ、ルノアル、ドガ、シスレー、ギョーマン、バジールなどが集って、印象派の運動がおこっていた。マリアは、最後に自分のいのちを注いだ芸術の世界においてさえ、いわゆる貴族とサロンというくされ縁を切れなかったのだろうか。マリア自身の・・・ 宮本百合子 「マリア・バシュキルツェフの日記」
・・・そこへふっさり幹を斜に空から後期印象派風の柳が豊富な葉を垂らし、快晴の午後二時頃人声もしないその小道を行くと、何と云おう――様々な緑、紅緑、黄緑、碧緑、優しい銀緑色の清純な馨ばしさ、重さ、燦めきが堆団となっていちどきに感覚へ溢れて来る。静け・・・ 宮本百合子 「わが五月」
出典:青空文庫