・・・ともすると自然の懐ろは偉大だとか、自然が美しいとかいって、それが自分とどうしたとかいうでもない、埒もない感想に耽りたがる自分の性癖が、今さらに厭わしいものにも思われだした。晩酌の量ばかりがだんだんと加わって行った。十円の金のほとんど半分は彼・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ずっと以前に一度、根岸の精神病院に入れられた時の厭わしい記憶がおげんの胸に浮んだ。旦那も国から一緒に出て来た時だった。その時にも彼女の方では、どうしてもそんな病院などには入らないと言い張ったが、旦那が入れと言うものだから、それではどうも仕方・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・冬の荒い北風、幾度かその上に転んだ深い雪、風の雨戸に鳴る音さえ、陰気ではあるが私にとって決して厭わしい思い出ではない。 春が来て、私の家の小さな庭に香のある花が咲き、夕暮の残光が長く空を照らす頃になると、私のその郷愁は愈募って来る。・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・非常な羨望をもって描いていた大人の世界の美くしい、立派な理想は、皆くだかれて、恐ろしい厭わしい事物に満ちた「うき世」が彼女の前に現われたのであった。 今まで何も知らずに打とけて、思うままを話し合っていた仲間にも、彼女は「気をつけなければ・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫