・・・咳が出る、食欲が進まない、熱が高まると言う始末である、しのは力の及ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生に手を尽した。しかし少しも効験は見えない。のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意のため、思うように療治をさせるこ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・わたくしはもう二三年致せば、多門はとうてい数馬の上達に及ぶまいとさえ思って居りました。………」「その数馬をなぜ負かしたのじゃ?」「さあ、そこでございまする。わたくしは確かに多門よりも数馬を勝たしたいと思って居りました。しかしわたくし・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ 先刻から、ぞくぞくして、ちりけ元は水のような老番頭、思いの外、女客の恐れぬを見て、この分なら、お次へ四天王にも及ぶまいと、「ええ、さようならばお静に。」「ああ、御苦労でした。」と、いってすッと立つ、汽車の中からそのままの下じめ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。 春は過ぎても、初夏の日の長い、五月中旬、午頃の郵便局は閑なもの。受附にもどの口にも他に立集う人は一人もなかった。が、為替は直ぐ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・、こういう事情になっているところを、僕が逃げたというので、その代りに住職に復讐しようと、町の侠客連が二、三名動き出したのを、人に頼んで、ようやく推し静めてもらったが、「いつ、どんな危険が奥さんにも及ぶか分りませんから、今晩急いで帰京する・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 明治三十年六月二十日東京青山において内村鑑三に及ぶ文章はあるまい。これはまったく外からの雑りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうしてかくも有名なる本は何であるかというと無学者の書いた本でありま・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・人接のよさと一々に感服したる末は、何として、綱雄などのなかなか及ぶところでないと独り語つ。光代は傍に聞いていたりしが、それでもあの綱雄さんは、もっと若くって上品で、沈着いていて気性が高くって、あの方よりはよッぽどようござんすわ。と調子に確か・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 春霞たなびく野辺といえどもわが家ののどけさには及ぶまじく候 ここに父上の祖父様らしくなられ候に引き換えて母上はますます元気よろしくことに近ごろは『ワッペウさん』というあだ名まで取られ候て、折り折り『おしゃべり』と衝突なされ候ことこれま・・・ 国木田独歩 「初孫」
画を好かぬ小供は先ず少ないとしてその中にも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。。 好きこそ物の上手とやらで、自分も他の学課の中画では同級生の中自分に及ぶものがない。画と数学となら、憚りながら誰でも来いなんて、自分・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・そしてそれは性の問題だけでなく、人生一般の見方に及ぶのである。いかなるイデアリストの詩人、思想家も、彼が童貞を失った後にそれ以前のような至醇なる恋愛賛美が書けるはずはない。自分の例を引けば、「異性の内に自己を見出さんとする心」を書いたとき私・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫