・・・「君は何しろ月給のほかに原稿料もはいるんだから、莫大の収入を占めているんでしょう。」「常談でしょう」と言ったのは今度は相手の保吉である。それも粟野さんの言葉よりは遥かに真剣に言ったつもりだった。「月給は御承知の通り六十円ですが、・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・生児の衣服、産室、産具……「収入及び支出。労銀、利子、企業所得……「一家の管理。家風、主婦の心得、勤勉と節倹、交際、趣味、……」 たね子はがっかりして本を投げ出し、大きい樅の鏡台の前へ髪を結いに立って行った。が、洋食の食べかただ・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・ところが私には一つの仕事があって、他の人はどういおうと、私としてはこの上なく楽しく思う仕事ですし、またその仕事から、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。明日はどうなるか知らず、今日は得られています。かかる保証を有ちながら・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・瀬古 だが収入がなくっちゃおまえんちも暮らせないね。とも子 知れたこってすわ、馬鹿馬鹿しい。沢本 じゃやはりドモ又がいったように、君はどこかに岸をかえるんだな。とも子 さあねえ。そうするよりしかたがないわね。私はいったい・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・それは何の苦もなくいわば余分の収入として得たるものとはいえ、万という金を惜しげもなく散じて、僕らでいうと妻子と十日の間もあい離れているのはひじょうな苦痛である独居のさびしみを、何の苦もないありさまに振舞うている。そういう君の心理が僕のこころ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・――大阪のある芸者――中年増であった――がその色男を尋ねて上京し、行くえが分らないので、しばらく僕の家にいた後、男のいどころが分ったので、おもちゃのような一家を構えたが、つれ添いの病気のため収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・十五円はウソじゃアあるまいが、沼南の収入は社の月給ばかりじゃなかろう。コッチは社から貰う外にドコからも金の入る道はないンだぜ、」と、沼南に逆さに蟇口を振って見せられた連中は沼南の口先きだけの同情をブツクサいっていた。三 それ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・今より二十何年前にはイクラ文人が努力しても、文人としての収入は智力上遥に劣ってる労働階級にすら及ばないゆえ、他の生活の道を求めて文学を片商売とするか、或は初めから社会上の位置を度外して浮世を茶にして自ら慰めるより外仕方が無かったのである。・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・この旧券の三百円を預けるとそのまま新円で引き出せる。三百円あっても大したことはないが、三百円はいったということで、少し甦った気になるね。何かしら元気がついて、一人の子供が思い切って靴磨きに行く。この収入月にいくらすくなくても五百円になるだろ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・昔は将棋指しには一定の収入などなく、高利貸には責められ、米を買う金もなく、賭将棋には負けて裸かになる。細君が二人の子供を連れて、母子心中の死場所を探しに行ったこともあった。この細君が後年息を引き取る時、亭主の坂田に「あんたも将棋指しなら、あ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫