・・・千日前のそんな事件をわざわざ取り上げて書いてみようとする物好きな作家は、今の所私のほかには無さそうだし、そんなものでも書いて置けば当時の千日前を偲ぶよすがにもなろうとは言うものの、近頃放送されている昔の流行歌も聴けば何か白々しくチグハグであ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・「話したけれど取上げてくれない」「そんなはずってあるまい。それがもし本当の話だったら、巡査の方でもどうにかしてくれるわけだがなあ。……がいったいここではどうして腹をこしらえていたんだ? 金はいくら持っている? 年齢はいくつだ? 青森・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・という吉田にとっては非常に苦痛な考えを固執していてそれを取り上げなかった。そしてこんな場合になっては吉田はやはり一匹の猫ぐらいでその母親を起こすということはできがたい気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・自分は音を立てぬようにその枕元を歩いて、長火鉢の上なる豆洋燈を取上げた。 暫時聴耳を聳て何を聞くともなく突立っていたのは、猶お八畳の間を見分する必要が有るかと疑がっていたので。しかし確に箪笥を開ける音がした、障子をするすると開ける音を聞・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 日本のブル新聞は、鮮銀と、漁業会社に肩を持って、ぎょうぎょうしげに問題を取り上げていた。 しかし、「そうだ、もっと早くから、ルーブル紙幣の暗黒売買を禁止しとかなけゃならなかったのだ! これさえ抑えとけば、香水をつけたり、絹の靴下を・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・れば、つまり出世の道も開けて、宜しい訳でしたが、どうも世の中というものはむずかしいもので、その人が良いから出世するという風には決っていないもので、かえって外の者の嫉みや憎みをも受けまして、そうして役を取上げられまする、そうすると大概小普請と・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・何気なく取上げて、日に晒された表紙の塵埃を払って見る。紛も無い彼自身の著書だ。何年か前に出版したもので、今は版元でも品切に成っている。貸失して彼の手許にも残っていない。とにかく一冊出て来た。それを買って、やがて相川はその店を出た。雨はポツポ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 厩頭は画きかけの画を取り上げていきました。 翌る日、厩頭は王さまのところへ行って、ウイリイのことを訴えました。どんな灯をつけるのかそれはわかりませんが、とにかくその灯でこんな画を画いておりましたと言って、取って来た画をお目にかけま・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・或いは又、孫のハアモニカを、爺に借せと騙して取上げ、こっそり裏口から抜け出し、あたふた此所へやって来たというような感じでありました。珠数を二銭に売り払った老爺もありました。わけてもひどいのは、半分ほどきかけの、女の汚れた袷をそのまま丸めて懐・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・私はほとんど無意識にそれを取り上げて見ているうちに、その紙の上に現われている色々の斑点が眼に付き出した。 紙の色は鈍い鼠色で、ちょうど子供等の手工に使う粘土のような色をしている。片側は滑かであるが、裏側はずいぶんざらざらして荒筵のような・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
出典:青空文庫