・・・せめて様々の料理を取寄せ、食卓を賑かにして、このどうにもならぬ陰鬱の気配を取払い度く思い、「うなぎと、それから海老のおにがら焼と茶碗蒸し、四つずつ、此所で出来なければ、外へ電話を掛けてとって下さい。それから、お酒。」 母はわきで聞い・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ まもなく刑事と警察医らしい人たちが来て、はじめて蚊帳を取り払い、毛布を取りのけ寝巻の胸を開いてからだじゅうを調べた。調べながら刑事の一人が絶えず自分の顔をじろじろ見るのが気味悪く不愉快に感ぜられた。B教授の禿頭の頂上の皮膚に横にひと筋・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・杉の茂りの後は忍返しをつけた黒板塀で、外なる一方は人通のない金剛寺坂上の往来、一方はその中取払いになって呉れればと、父が絶えず憎んで居る貧民窟である。もともと分れ分れの小屋敷を一つに買占めた事とて、今では同じ構内にはなって居るが、古井戸のあ・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫