・・・ 譚は後にいた鴇婦の手から小さい紙包みを一つ受け取り、得々とそれをひろげだした。その又紙の中には煎餅位大きい、チョコレェトの色に干からびた、妙なものが一枚包んであった。「何だ、それは?」「これか? これは唯のビスケットだがね。…・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・のみならず門番が、怖わ怖わその子を抱いて来ると、すぐに自分が受け取りながら、「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日からおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。――この時の事は後になっても、和尚贔屓の門番が、樒や線香を・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・お届けをしようか、受取りにおいで下さるか、という両国辺の運送問屋から来たのでした。 品物といえば釘の折でも、屑屋へ売るのに欲い処。……返事を出す端書が買えないんですから、配達をさせるなぞは思いもよらず……急いで取りに行く。この使の小僧で・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
一 柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。 春は過ぎても、初夏の日の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・自然遅れて来たものは札が請取れないから、前日に札を取って置いて翌日に買いに来るというほど繁昌した。丁度大学病院の外来患者の診察札を争うような騒ぎであったそうだ。 淡島屋の軽焼の袋の裏には次の報条が摺込んであった。余り名文ではないが、淡島・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 私が緑雨を知ったのは明治二十三年の夏、或る温泉地に遊んでいた時、突然緑雨から手紙を請取ったのが初めてであった。尤もその頃専ら称していた正直正太夫の名は二十二年ごろ緑雨が初めてその名で発表した「小説八宗」以来知っていた。(この「小説八宗・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・いずれそのうちに、娘を受け取りにくるといいました。 この話を娘が知ったときは、どんなに驚いたでありましょう。内気な、やさしい娘は、この家から離れて、幾百里も遠い、知らない、熱い南の国へゆくことをおそれました。そして、泣いて、年より夫婦に・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・いずれそのうちに、娘を受取りに来ると言いました。 この話を娘が知った時どんなに驚いたでありましょう。内気な、やさしい娘は、この家を離れて幾百里も遠い知らない熱い南の国に行くことを怖れました。そして、泣いて、年より夫婦に願ったのであります・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 無論、全部おれが身銭を切ってしてやったことで、なるほどあとでの返しはそれ相当に受け取りはしたが、当時はなにもそれを当てにしていたわけではない。簡単にいえば親切ずく、――あとで儲けを山分けなどというけちな根性からではさらになかった。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・寺田はむしろ悲痛な顔をしながら、配当を受取りに行くと、窓口で配当を貰っていたジャンパーの男が振り向いてにやりと笑った。皮膚の色が女のように白く、凄いほどの美貌のその顔に見覚えがある。穴を当てる名人なのか、寺田は朝から三度もその窓口で顔を合せ・・・ 織田作之助 「競馬」
出典:青空文庫