・・・そして改札口前をぶらぶらしていたが、表の方からひょこひょこはいってくる先刻の小僧が眼に止ったので、思わず駈け寄って声をかけた。「やっぱしだめだった? 追いだして寄越した?」「いいんにゃそうじゃない。巡査が切符を買って乗せてやるって、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・あれは当世流の理屈で、だれも言うたと、言わば口前だ。徳の本心はやっぱりわしを引っぱり出して五円でも十円でもかせがそうとするのだ、その証拠には、せんだってごろまでは遊んで暮らすのはむだだ、足腰の達者なうちは取れる金なら取るようにするが得だ、叔・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・やがて、家風が町人化し、口前のうまい、利をもって人々を味方につける人が、はばを利かしてくる。百人の内九十五人は町人形儀になり、残り五人は、人々に悪く言われ、気違い扱いにされて、何事にも口が出せなくなる。五人のうち三人は、ついに町人形儀と妥協・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫