・・・よしんば死刑になるかも分らない犯罪にしても、判決の下るまでは、天災を口実として死刑にすることは、はなはだ以て怪しからん。―― という風なことを怒鳴っていると、塀の向うから、そうだ、そうだ、と怒鳴りかえすものがあった。 ――占めた――・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・裏に表に手を尽して吟味に吟味を重ね、双方共に是れならばと決断していよ/\結婚したる上は、家の貧乏などを離縁の口実にす可らざるは、独り女の道のみならず、亦男子の道として守る可き所のものなり。近年の男子中には往々此道を知らず、幼年の時より他人の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ただ今の世に士君子というべき人が、その子を学校に入れたる趣意を述べて口実に設くれども、かつてその趣意の立たざるもの多きを疑うてこれを咎むるのみ。 その口実に云く、内外多用なるが故に子を教うるの暇なしと。内外の用とは何事を指していうか。官・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・真の犯人はナチスであるが、それを口実に共産党への大弾圧を加えるために、計画された陰謀であった。また反ナチ派の勢力の下にあったバイエルン州のミュンヘンでは、この報知をきいても、ナチの悪計とは知らず、エリカ・マンの胡椒小屋は謝肉祭の大陽気で、反・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・民主主義を守るという口実でやるのです。ナチスも左からまわったし、ムソリーニも左からまわりました。いずれも、人民を裏切って。「おくれた大衆」という言葉は、前衛的な人たちによってしばしば使われていますけれども、私はいつも一種の感じをもってき・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・そして親の病気が口実だと云うことを悟った。 りよと一しょに奥を下がった傍輩が二三人、物珍らしげに廊下に集まって、りよが宿の使に逢うのを見ようとしている。「ちょいと忘物をいたしましたから」と、りよは独言のように云って、足を早めて部屋へ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・それは外の女中がいろいろの口実を拵えて暇を貰うのに、お蝶は一晩も外泊をしないばかりでなく、昼間も休んだことがない。佐野さんが来るのを傍輩がかれこれ云っても、これも生帳面に素話をして帰るに極まっている。どんな約束をしているか、どう云う中か分か・・・ 森鴎外 「心中」
・・・してみれば、今安次を勘次の家へ、株内と云う口実で連れていったとしたならば? 勘次の母の吝嗇加減を知っていればそれだけ、秋三には彼女の狼狽える様子が眼に見えた。それは彼にとって確に愉快な遊戯であった。 と、忽ち、秋三は安次を世話する種々な・・・ 横光利一 「南北」
・・・ 帰ってから憲兵への口実となる色紙の必要なことも、それで分った。梶は、自分の色紙が栖方の危険を救うだけ、自分へ疑惑のかかるのも感じたが、門標につながる縁もあって彼は栖方に色紙を書いた。「科学上のことはよく僕には分らなくて、残念だが、・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それには何か口実がなくてはならない。そこでニグロは半ば獣だということにされた。また Fetisch という概念がアフリカの宗教の象徴として発明された。呪物崇拝などということは全くのヨーロッパ製である。ニグロ・アフリカのどこを探したってニグロ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫