・・・ お民が始て僕等の行馴れたカッフェーに給仕女の目見得に来たのは、去年の秋もまだ残暑のすっかりとは去りやらぬ頃であった。古くからいる女が僕等のテーブルにお民をつれてきて、何分宜しくと言って引合せたので、僕等は始めて其名を知ったわけである。・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・そして一刻一刻、時間の進むごとに、われらの祖国をしてアングロサキソン人種の殖民地であるような外観を呈せしめる。古くして美しきものは見る見る滅びて行き新しくして好きものはいまだその芽を吹くに至らない。丁度焼跡の荒地に建つ仮小屋の間を彷徨うよう・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・「世の中が古くなって、よごれたか」と聞けば「よごれました」と扇に軽く玉肌を吹く。「古き壺には古き酒があるはず、味いたまえ」と男も鵞鳥の翼を畳んで紫檀の柄をつけたる羽団扇で膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」と女はどこまでもす・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 私が小説を書き出したのは、何年前からか確と覚えてもいないが、けっして古くはない。見方によればごく近頃であると云ってもよろしい。しかるに我が文壇の潮流は非常に急なもので、私よりあとから、小説家として、世にあらわれ、また一般から作家として・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・江南の橘も江北に植えると枳殻となるという話は古くよりあるが、これは無論の事で、同じ蜜柑の類でも、日本の蜜柑は酸味が多いが、支那の南方の蜜柑は甘味が多いというほどの差がある。気候に関する菓物の特色をひっくるめていうと、熱帯に近い方の菓物は、非・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ みんなは毎日その石で畳んだ鼠いろの床に座って古くからの聖歌を諳誦したり兆よりももっと大きな数まで数えたりまた数を互に加えたり掛け合せたりするのでした。それからいちばんおしまいには鳥や木や石やいろいろのことを習うのでした。 アラムハ・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ソヴェトについてのこれらの物語は、古くて新しい。こんにちの歴史の下では、単にロシア国内の事情というにとどまらず、世界の人民の業績の一つの典型として感じとられるこれらの印象記や報告が一冊の本にまとまって出ることはうれしい。 発表当時、会話・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・これはよほど古くからのことで、まだ猪之助といって小姓を勤めていたころも、猪之助が「ご膳を差し上げましょうか」と伺うと、「まだ空腹にはならぬ」と言う。ほかの小姓が申し上げると、「よい、出させい」と言う。忠利はこの男の顔を見ると、反対したくなる・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「俳句は古くからですか。」 これなら無事だ、と思われる安全な道が、突然二人の前に開けて来た。「いえ、最近です。」「好きなんですね。」「おれのう、頭の休まる法はないものかと、いつも考えていたときですが、高田さんの俳句をある・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ ドストイェフスキイを冗漫だとする批評はかなり古くからあるが、私は冗漫を感じない。内容がはち切っているから。――もっとも技巧から言えばかなりに隙がある。夏目先生はカラマゾフ兄弟のある点をディクンスに比して非難された。その時私は承服し兼ね・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫