・・・ 星 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。 天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ちょっと見るとなんでもないようだが、古人の考えにはおろそかでないところがあるだろう。俺しは今日その商人を相手にしたのだから、先方の得手に乗せられては、みすみす自分で自分を馬鹿者にしていることになるのだ。といってからに俺しには商人のような嘘は・・・ 有島武郎 「親子」
・・・……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟を召したのは私が刻みました。祖師のお像でござりますが、喜撰・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・尺寸の小幀でも椿岳一個の生命を宿している。古人の先蹤を追った歌舞伎十八番のようなものでも椿岳独自の個性が自ずから現われておる。多い作の中には不快の感じを与えられるものもあるが、この不快は椿岳自身の性癖が禍いする不快であって、因襲の追随から生・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ラ駄目で、とても硯友社の読者の靴の紐を結ぶにも足りなかったが、其磧以後の小説を一と通り漁り尽した私は硯友社諸君の器用な文才には敬服しても造詣の底は見え透いた気がして円朝の人情噺以上に動かされなかった。古人の作や一知半解ながらも多少窺った外国・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・一葉落ちて天下の秋を知るとは古人の言だが、一行の落ちに新吉は人生を圧縮出来ると思っていた。いや、己惚れていた。そして、迷いもしなかった。現実を見る眼と、それを書く手の間にはつねに矛盾はなかったのだ。 ところが、ふとそれが出来なくなってし・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・私は古人の「五月雨の降り残してや光堂」の句を、日を距ててではありましたが、思い出しました。そして椎茜という言葉を造って下の五におきかえ嬉しい気がしました。中の七が降り残したるではなく、降り残してやだったことも新しい眼で見得た気がしました。・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・重んぜられ、骨董蒐集が行われるお蔭で、世界の文明史が血肉を具し脈絡が知れるに至るのであり、今までの光輝がわが曹の頭上にかがやき、香気が我らの胸に逼って、そして今人をして古文明を味わわしめ、それからまた古人とは異なった文明を開拓させるに至るの・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・松島の景といえばただただ、松しまやああまつしまやまつしまやと古人もいいしのみとかや、一ツ一ツやがてくれけり千松島とつらねし技倆にては知らぬこと、われわれにては鉛筆の一ダース二ダースつかいてもこの景色をいい尽し得べしともおもえず。東西南北、前・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・休歇にはいってしまうのに、これを悼惜し、慟哭する妻子・眷属その他の生存者の悲哀が、幾万年かくりかえされた結果として、なんびとも、死は漠然とかなしむべし、おそるべしとして、あやしまぬにいたったのである。古人は、生別は死別より惨なりといった。死・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫