・・・「二月×日 俺は今日午休みに隆福寺の古本屋を覗きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色の幌を張った支那馬車である。馭者も勿論馬車の上に休んでいたのに違いない。が、俺は格別気にも止めずに・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・すると南町へ行って、留守だと云うから本郷通りの古本屋を根気よく一軒一軒まわって歩いて、横文字の本を二三冊買って、それから南町へ行くつもりで三丁目から電車に乗った。 ところが電車に乗っている間に、また気が変ったから今度は須田町で乗換えて、・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・自分は神田の古本屋を根気よくあさりまわって、欧洲戦争が始まってから、めっきり少くなった独逸書を一二冊手に入れた揚句、動くともなく動いている晩秋の冷い空気を、外套の襟に防ぎながら、ふと中西屋の前を通りかかると、なぜか賑な人声と、暖い飲料とが急・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・「私が学校で要る教科書が買えなかったので、親仁が思切って、阿母の記念の錦絵を、古本屋に売ったのを、平さんが買戻して、蔵っといてくれた。その絵の事だよ。」 時雨の雲の暗い晩、寂しい水菜で夕餉が済む、と箸も下に置かぬ前から、織次はどうし・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ とその隣が古本屋で、行火の上へ、髯の伸びた痩せた頤を乗せて、平たく蹲った病人らしい陰気な男が、釣込まれたやら、「ふふふ、」 と寂しく笑う。 続いたのが、例の高張を揚げた威勢の可い、水菓子屋、向顱巻の結び目を、山から飛んで来・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・十年前だった、塚原靖島田三郎合訳と署した代数学だか幾何学だかを偶然或る古本屋で見附けた。余り畑違いの著述であるのを不思議に思って、それから間もなく塚原老人に会った時に訊くと、「大変なものを見附けられた。アレはネ……」と渋柿園老人は例の磊落な・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・されるという、廻合せの皮肉さに、すこしは苦笑する余裕があっても良かりそうなものだのに、お前はそんな余裕は耳掻きですくう程も無く、すっかり逆上してしまって、自身まで出向いて、市中の書店を駈けずりまわり、古本屋まで買い漁ったというじゃないか。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・旧券で買い占めて置いて、新券になったら、読みもしないで、べつの古本屋へ売り飛ばすんだ」「なるほど、一万円で買うて三割引で売っても七千円の新券がはいるわけだな」「しかし、とてもそれだけの本は持って帰れないから、結局よしたよ。市電の回数・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・寿子は眼医者に通う途中、少女雑誌を持って古本屋へ立ち寄り、金に換えねばならなかった。四 やがて、寿子の腕は、庄之助自身ふと嫉妬を感ずる位、上達した。 十三で小学校を卒業して、間もなく、東京日日新聞主催の音楽コンクールが東・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 町にはまだ雪がちらついていた。古本屋を歩く。買いたいものがあっても金に不自由していた自分は妙に吝嗇になっていて買い切れなかった。「これを買うくらいなら先刻のを買う」次の本屋へ行っては先刻の本屋で買わなかったことを後悔した。そんなことを・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫