・・・ 答「古池や蛙飛びこむ水の音」。 問 君はその詩を佳作なりとなすや? 答 予は必ずしも悪作なりとなさず。ただ「蛙」を「河童」とせんか、さらに光彩陸離たるべし。 問 しからばその理由は如何? 答 我ら河童はいかなる芸術にも・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかしまたそのほかにも荒廃を極めたあたりの景色に――伸び放題伸びた庭芝や水の干上った古池に風情の多いためもない訣ではなかった。「一つ中へはいって見るかな。」 僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟んだ松の下には姫路茸などもかすかに・・・ 芥川竜之介 「悠々荘」
・・・近くの古池からはなにかいやな沼気が立ちのぼるかと思われた。一町先が晴れてもそこだけは降り、風は黒く渡り、板塀は崩れ、青いペンキが剥げちょろけになったその建物のなかで、人びとは古障子のようにひっそりと暮していた。そして佐伯はいわばその古障子の・・・ 織田作之助 「道」
・・・行李の中には私たち共用の空気銃、Fが手製の弓を引くため買ってきた二本の矢、夏じゅう寺内のK院の古池で鮒を釣って遊んだ継ぎ竿、腰にさげるようにできたテグスや針など入れる箱――そういったものなど詰められるのを、さすがに淋しい気持で眺めやった。妻・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ あつしあつしと門々の声 これが既に、へんである。所謂、つき過ぎている。前句の説明に堕していて、くどい。蛇足的な説明である。たとえば、こんなものだ。 古池や蛙とびこむ水の音 音の聞えてなほ静かなり これ程ひ・・・ 太宰治 「天狗」
・・・有名な「古池やかわず飛び込む水の音」はもちろんであるが「灰汁桶のしずくやみけりきりぎりす」「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」「鉄砲の遠音に曇る卯月かな」等枚挙すれば限りはない。 すべての雑音はその発音体を暗示すると同時にまたその音の広が・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・に志田素楓氏が、芭蕉の古池の句の外国語訳を多数に収集紹介している。これははなはだ興味の深いコレクションである。そのうちで日本人の訳者五名の名前を見るといずれも英語にはすこぶる熟達した人らしく思われるが、しかし自身で俳諧の道に深い体験をもって・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・そうして枯れ枝から古池へと自然のふところに物の本情をもとめた結果、不易なる真の本体は潜在的なるものであってこれを表現すべき唯一のものは流行する象徴による暗示の芸術であるということを悟ったかのように見える。かくして得られた人間世界の本体はあわ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・しかし「古池に蛙が飛び込んで水音がした」がなぜ散文で、「古池や蛙飛び込む水の音」がなぜ詩であるか。それは無定形と定形との相違である。しからば前者の五、九、七、を一つの異なる定型としてはなぜいけないか。この疑問に答えるには日本における五七調の・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
出典:青空文庫