・・・お母さんがいくら八っちゃんは弟だから可愛がるんだと仰有ったって、八っちゃんが頬ぺたをひっかけば僕だって口惜しいから僕も力まかせに八っちゃんの小っぽけな鼻の所をひっかいてやった。指の先きが眼にさわった時には、ひっかきながらもちょっと心配だった・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ 色青ざめた母の顔にもいつしか僕等を真から可愛がる笑みが湛えて居る。やがて、「民やはあのまた薬を持ってきて、それから縫掛けの袷を今日中に仕上げてしまいなさい……。政は立った次手に花を剪って仏壇へ捧げて下さい。菊はまだ咲かないか、そん・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」「独りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」「何でも出来る、わ」「第一、三味線は下手だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・然しお政さんなんぞは幸福さ、いくら親に不孝な男でも女房だけは可愛がるからね。お光などのように兵隊の気嫌まで取て漸々御飯を戴いていく女もあるから、お前さんなんぞ決して不足に思っちゃなりませんよ」 皮肉も言い尽して、暫らく烟草を吹かしながら・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・それですからおさよも事によったら内心如夜叉ではないかとこわがりながらも、自分で言いわけをこしらえて、おさよさんはまだ子供だし自分もまだ子供だからそんなこわいことはない、おさよさんが自分を可愛がるのは真実に可愛がるので決して欺すのじゃあないと・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・子どもを可愛がる夫婦というのはよそ目にも美しく、その家庭は安泰な感じがするものだ。 人間は社会生活をして生きているから、夫婦の生活をささえ子どもを養、教育していくことは生活の「たたかい」を意味する。この闘いに協同戦線を張って助け合うこと・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・動物が巣にいる幼い子供を可愛がるように、家畜を可愛がっていたあの温しい眼は、今は、白く、何かを睨みつけるように見開れて動かなかった。異母妹のナターリイは、老人の死骸に打倒れて泣いた。 長男は、根もとから折られた西洋桜を、立てらしてつぎ合・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・「妙なもので、家内はまた莫迦に弟の方を可愛がるんです。弟の言うことなら何でも閲く。私がそれじゃ不可と言うと、そこで何時でも言合でサ……家内が、父さんは繁の贔負ばかりしている、一体父さんは甘いから不可、だから皆な言うことを聞かなくなっちま・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 奥さん、どうです、修治は、あなたを可愛がるか? 俺は、これでも東京で暮した事のある男でね」 甚だ、まずい事になって来た。私は女房に、母屋へ行って何か酒のさかなをもらって来なさい、と言いつけ、席をはずさせた。 彼は悠然と腰から煙草入・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・しかし、その男が元来どうしてそれほどまでに猫を可愛がるようになったかという過程を考えてみる、そうすると彼の周囲の人間が、少なくも彼の目から見て、彼の人間らしい暖かい心を引出す能力を欠いていたのではないかという疑いが起る。もしそうだとすると彼・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
出典:青空文庫