・・・京都のある雑誌でH・Kという東京の評論家を京都に呼んで、H・Kを囲む座談会をやった。司会をした仏蘭西文学研究会のT・IはH・Kの旧友だった。二人ともよく飲んだ。話がたまたま昔話に移った。「あの時は君は……」H・KはいきなりT・Iにだきついて・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・黒い布を掛け、青い十字架をつけ、牡丹の造花を載せた棺の側には、桜井先生が司会者として立っていた。讃美歌が信徒側の人々によって歌われた。正木未亡人は宗教に心を寄せるように成って、先生の奥さんと一緒に讃美歌の本を開けていた。先生は哥林多後書の第・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・もし私が、あの場に居合せたなら、そうして司会者から意見を求められたなら、きっとこう叫ぶ。「私は税金を、おさめないつもりでいます。私は借金で暮しているのです。私は酒も飲みます。煙草も吸います。いずれも高い税金がついて、そのために私の借金は・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・除幕式は一九二一年十一月三十日、ジェー・ジェー・タムソンの司会の下に行われた。その時のタムソンの演説はさすがにレーリー一代の仕事に対する簡潔な摘要とも見られるものである。その演説の要旨の中から、少しばかり抄録してみる。 「レーリーの全集・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・大きな白いリボンを胸につけた司会者がはいって来ました。「アンコールをやっていますが、何かみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」 すると楽長がきっとなって答えました。「いけませんな。こういう大物のあとへ何を出したってこっち・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・ 司会者の何か特別な意図がふくまれていたのであろうか、 祝宴の主人公であるその画家の坐っている中央のテーブルは、純然の家族席としてまとめられている。夫人、成人して若い妻となっている令嬢、その良人その他幼い洋服姿の男の子、或は先夫人か・・・ 宮本百合子 「或る画家の祝宴」
・・・そしたら、司会者が、いきなり、今度は日本の女の人が皆に挨拶をするからといってしまった。 私は通訳をしてくれる人もその席には持っていないのだから途方に暮れ、到頭立って、私はロシア語はまだ話せない、モスクへ三月前に来たばっかりです、私のいう・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ 親の見出してくれた配偶者と結婚して幸福な生活がいとなめないなどと思う心持は毛頭ないけれど、それでも、この女性の感じかたはその時司会をしていられた片岡鉄兵氏をも何となしおどろかしたところがあったように見える。片岡さんは、少し意外そうな語・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・ 何時ぞや映画の若い女優さんの座談会があって、そこでは吉屋信子さんが司会していらしたのですが、若し好きな人が出来て、その人が貧乏だったらどうするでしょうと云う話が出ました。すると一人の活溌に話している女優さんが、「あたしは始から、そんな・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
・・・すぐ司会者が舞台の上から「集会は解散になりましたが、余興は別に許可されていますから、すぐそちらにうつります。皆さん、帰らないで下さい」と大きな声で告げた。すると築地署の臨監が「公安に害ありと認め興行届認可を取消す」と怒鳴った。まだ歌一つうた・・・ 宮本百合子 「日本プロレタリア文化連盟『働く婦人』を守れ!」
出典:青空文庫