・・・ しかのみならず、たといかかる急変なくして尋常の業に従事するも、双方互に利害情感を別にし、工業には力をともにせず、商売には資本を合せず、却て互に相軋轢するの憂なきを期すべからず。これすなわち余輩の所謂消極の禍にして、今の事態の本位よりも・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・もちろん髪の毛は大ぶ薄くなって、顔のそこここに皺が出来たが、その填合せにはあの時のようにはにかみはしない。それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオビュルナンは口の内で詞に出して己を嘲・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・忽ち親み、忽ち疎ずるのが君の習で、咬み合せた歯をめったに開かず、真心を人の腹中に置くのが僕の性分であった。不遠慮に何にでも手を触れるのが君の流儀で、口から出かかった詞をも遠慮勝に半途で止めるのが僕の生付であった。この二人の目の前にある時一人・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・終には自分の身をも合せてその火中に投じた。世人は彼女を愚とも痴ともいうだろう。ある一派の倫理学者の如く行為の結果を以て善悪の標準とする者はお七を大悪人とも呼ぶであろう。この、無垢清浄、玉のようなお七を大悪人と呼ぶ馬鹿もあるであろう。けれどお・・・ 正岡子規 「恋」
・・・それは白い鬚の老人で、倒れて燃えながら、骨立った両手を合せ、須利耶さまを拝むようにして、切なく叫びますのには、(須利耶さま、須利耶さま、おねがいでございます。どうか私の孫をお連 もちろん須利耶さまは、馳せ寄って申されました。(いいと・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・あるいはまた、いま歩いている道はまともな道だけれども、実にその道はすれすれに誘惑ととなり合わせていることを感じて生きていることだろう。若い女性たちの中に、この頃、はっきりこういう危険な状態を見分ける鑑識ができてきた。一見ささいなこの実力こそ・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・そして少数の人がどこかで読んで、自分と同じような感じをしてくれるものがあったら、為合せだと、心のずっと奥の方で思っているのである。 停留場までの道を半分程歩いて来たとき、横町から小川という男が出た。同じ役所に勤めているので、三度に一度位・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・女中は翌日になって考えてみたが、どうもお上さんに顔を合せることが出来なくなった。そこでこの面白い若者の傍を離れないことにした。若者の方でも女が人がよくて、優しくて、美しいので、お役人の所に連れて行って夫婦にして貰った。 ツァウォツキイは・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・応答の内にはいずれも武者気質の凜々しいところが見えていたが、比べ合わせて見るとどうしても若いのは年を取ッたのよりまだ軍にも馴れないので血腥気が薄いようだ。 それから二人は今の牛ヶ淵あたりから半蔵の壕あたりを南に向ッて歩いて行ったが、その・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ナポレオンは周章てて拡った寝衣の襟をかき合せると起き上った。「陛下、いかがなされたのでございます」「余は恐ろしい夢を見た」「マルメーゾンのジョゼフィヌさまのお夢でございましょう」「いや、余はモローの奴が生き返った夢を見た」・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫