きっかわこれたり【吉川惟足】
[1616〜1695]江戸前期の神道家。姓は「よしかわ」とも読む。吉川神道の創始者。江戸の人。京都の吉田神道を学び、江戸でその正統継承者と自称、一派を立てる。諸大名の信頼を得、幕府神道方となる。著「神代巻惟足抄」など。
きっかわひろいえ【吉川広家】
[1561〜1625]安土桃山・江戸初期の武将。元春の三男。毛利氏支藩の岩国藩吉川氏の祖。関ヶ原の戦いでは徳川氏に内通し、戦後、宗家毛利氏の領国周防 (すおう) ・長門 (ながと) 両国の保全に功があった。
きっかわもとはる【吉川元春】
[1530〜1586]戦国時代の武将。駿河守 (するがのかみ) 。毛利元就 (もうりもとなり) の次男。従兄の吉川興経 (おきつね) の養子。弟の小早川隆景 (こばやかわたかかげ) とともに毛利氏の中国平定に尽力。豊臣秀吉に従って九州侵攻に参加、陣中で死亡。
出典:青空文庫
・・・た先ごろは農場監督の吉川氏から、氏としての考えを述べられたはずだ・・・ 有島武郎「小作人への告別」
・・・「何だ、吉川はかくれて煙草をのんでいたんか――俺に残りをよこせ!・・・ 黒島伝治「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ているであろうか。 吉川英治、林房雄、尾崎士郎、榊山潤の諸氏によ・・・ 宮本百合子「明日の言葉」