・・・―― 泉殿に擬えた、飛々の亭のいずれかに、邯鄲の石の手水鉢、名品、と教えられたが、水の音より蝉の声。で、勝手に通抜けの出来る茶屋は、昼寝の半ばらしい。どの座敷も寂寞して人気勢もなかった。 御歯黒蜻蛉が、鉄漿つけた女房の、微な夢の影ら・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・この彦太楼尾張屋の主人というは藐庵や文楼の系統を引いた当時の廓中第一の愚慢大人で、白無垢を着て御前と呼ばせたほどの豪奢を極め、万年青の名品を五百鉢から持っていた物数寄であった。ピヤノを買ったのも音楽好きよりは珍らし物好きの愚慢病であった。が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・茶道は、遠く鎌倉幕府のはじめに当り五山の僧支那より伝来せしめたりとは定説に近く、また足利氏の初世、京都に於いて佐々木道誉等、大小の侯伯を集めて茶の会を開きし事は伝記にも見えたる所なれども、これらは奇物名品をつらね、珍味佳肴を供し、華美相競う・・・ 太宰治 「不審庵」
出典:青空文庫