・・・この船は自分の腹を開けて、ここへ歌いながら叫びながら入り込んで来る人を入れてやって、それを黒い鉄の膝の上に載せて、無事に海の上へ連れ出して、余所の岸に運んで行ってまた吐き出すのである。 男等は立って見下している。ここには物音が聞える。為・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・佐伯は、顔を不機嫌にしかめて、強く、吐き出すように言い、両腕をぐったりテエブルの上に投げ出した。手が附けられぬくらいに、ふてくされてしまっている。私は、いよいよ味気ない思いであった。「君はくだらない奴だね。」と私は、思ったままを、つい言・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・しかし奴が吐き出すかも知れないと思って、途中で動物園に行くことを廃めにして料理店へ這入ってしまった。幸におれは一工夫して、これならばと一縷の希望を繋いだ。夜、ホテルでそっと襟を出して、例の商標を剥がした。戸を締め切って窓掛を卸して、まるで贋・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・別にうまそうでもないが、しかしまたあわてて吐き出すのでもなく、平然ときわめてあたりまえなような様子をしてすましているのであった。これも実に珍しい見ものであった。ここの猿はおそらくもうよほど前からこうした「吸いがら教育」を受けているのであろう・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・どうも不愉快だからまた吐き出す。 入れ歯を作ってもらってから長くなると歯ぐきが次第に退化して来るためか、どうも接触が密でなくなる。その結果は上あごの入れ歯がややもすると脱落しやすくなる。自分の場合には、妙なことには何か少し改まって物を言・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・急いで朝飯かき込み岡崎氏と停車場に馳けつくれば用捨気もなき汽車進行を始めて吐き出す煙の音乗り遅れし吾等を嘲るがごとし。珍しき事にもあらねど忌々しきものなり。先ず荷物を預けんとて二人のを一緒に衡らす。運賃弐円とは馬鹿々々しけれど致し方もなし。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ その同じ時刻に、安岡が最期の息を吐き出す時に、旅行先で深谷が行方不明になった。 数日後、深谷の屍骸が渚に打ち上げられていた。その死体は、大理石のように半透明であった。 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。 彼は鼻・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・固より船中の事で血を吐き出す器もないから出るだけの血は尽く呑み込んでしまわねばならぬ。これもいやな思いの一つであった。夜が明けても船の中は甚だ静かで人の気は一般に沈んで居る。時々アーアーという歎声を漏らす人もある。一週間の碇泊とは随分長い感・・・ 正岡子規 「病」
・・・この動物の血で塗りかためた、貴様等同族の髪毛の鞭が一ふり毎に億の呪いをふり出すか、兆の狂暴を吐出すか後で判ろう。呪いの鬼子、気違い力の私生児、入れ! 入れ!見てくれ、俺も老いまい? 粉のように飛んで、光のように、人間共にからみつく、あの――・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫