・・・けれども、そこで降りてみて、いいようだったら、そこで一泊して、それから多少、迂余曲折して、上諏訪のあの宿へ行こう、という、きざな、あさはかな気取りである。含羞でもあった。 汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 逢ったばかりの、あかの他人の男女が、一切の警戒と含羞とポオズを飛び越え、ぼんやり話を交している不思議な瞬間が、この世に、在る。「いやねえ。あたし、この半襟かけてお店に出ると、きっと雨が降るのよ。」 ちらと見ると、浅黄色のちりめ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 含羞は、誰でも心得ています。けれども、一切に眼をつぶって、ひと思いに飛び込むところに真実の行為があるのです。できぬとならば、「薄情。」受けよ、これこそは君の冠。 人、おのおの天職あり。十坪の庭にトマトを植え、ちくわを食いて、洗濯に・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・自己嫌悪、含羞、閉口しているのであろう。必ずや神経のデリケエトな人にちがいない。自転車に乗って三鷹の駅前の酒屋へ用達しに来て、酒屋のおかみさんに叱られてまごついている事もある。やはり、自転車に乗って三鷹郵便局にやって来て、窓口を間違ったり等・・・ 太宰治 「男女川と羽左衛門」
・・・ 五尺七寸の毛むくじゃら。含羞のために死す。そんな文句を思い浮べ、ひとりでくすくす笑った。 月 日。 山岸外史氏来訪。四面そ歌だね、と私が言うと、いや、二面そ歌くらいだ、と訂正した。美しく笑っていた。 月 日。 ・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・例えば梶が帰朝第一日、浴衣に着換えて妻の実家の十二畳の広間にひっくりかえった時、組みあげた足の先と妻の指先とが思わず触れあった瞬間の含羞。久しぶりで自分の子供の幼い顔を打ち眺めつつ、自分の見て来た世界の実際の大きさに今更ながら驚く気持など、・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫