・・・母は筆に舌を搦んで、乏しい水を吸うようにした。「じゃまた上りますからね、御心配な事はちっともありませんよ。」 戸沢は鞄の始末をすると、母の方へこう大声に云った。それから看護婦を見返りながら、「じゃ十時頃にも一度、残りを注射して上・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 葉巻を吸うのも忘れた牧野は、子供を欺すようにこう云った。「一体この家が陰気だからね、――そうそう、この間はまた犬が死んだりしている。だからお前も気がふさぐんだ。その内にどこか好い所があったら、早速引越してしまおうじゃないか? そう・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「一生懸命に吸うんでね、こんなにまっ赤になってしまった」自分もいつか笑っていた。「しかし存外好さそうですね。僕はもう今ごろは絶望かと思った」「多加ちゃん? 多加ちゃんはもう大丈夫ですとも。なあに、ただのお腹下しなんですよ。あしたはきっと熱が・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・巻莨に点じて三分の一を吸うと、半三分の一を瞑目して黙想して過して、はっと心着いたように、火先を斜に目の前へ、ト翳しながら、熟と灰になるまで凝視めて、慌てて、ふッふッと吹落して、後を詰らなそうにポタリと棄てる……すぐその額を敲く。続いて頸窪を・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ことこと、ひちゃひちゃ、骨なし子の血を吸う音が、舞台から響いた。が、子の口と、母の胸は、見る見る紅玉の柘榴がこぼれた。 颯と色が薄く澄むと――横に倒れよう――とする、反らした指に――茸は残らず這込んで消えた――塗笠を拾ったが、「お客・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・煙草を一服吸う。老人は一言も答えぬ。「どうです、まだ任せられませんか、もう理屈は尽きてるから、理屈は抜きにして、それでも親の掟に協わない子だから捨てるというなら、この薊に拾わしてください。さあ土屋さん、何とかいうてください」「いや薊・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そんなにちょうがたくさんいて、どの圃にも、どの花壇にも、いっぱいで、みつを吸うばかりでなく卵を産みつけたとしたら。たちまち、若木は坊主となり、野菜の葉は、穴だらけになってしまう。そうなってもちょうをきれいだなどというのは、ただふらふらしてい・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・そして煙草を吸うと、冷え冷えとした空気が煙といっしょに、口のなかにはいって行った。それがなぜともなしに物悲しかった。 織田作之助 「秋の暈」
・・・「見たところよく吸うようだが、日に何本吸うんだ」「日によって違うが、徹夜で仕事すると、七八十本は確実だね。人にもくれてやるから、百本になる日もある」「一本二円として、一日二百円か。月にして六千円……」 私は唸った。「それ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮めていると私は自分を・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
出典:青空文庫