・・・―― おお美わしのおとめよ、と賽銭に、二百金、現に三百金ほどを包んで、袖に呈するものさえある。が、お誓はいつも、そのままお帳場へ持って下って、おかみさんの前で、こんなもの。すぐ、おかみさんが、つッと出て、お給仕料は、お極りだけ御勘定の中・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ここ嶮峻なる絶壁にて、勾配の急なることあたかも一帯の壁に似たり、松杉を以て点綴せる山間の谷なれば、緑樹長に陰をなして、草木が漆黒の色を呈するより、黒壁とは名附くるにて、この半腹の洞穴にこそかの摩利支天は祀られたれ。 遥かに瞰下す幽谷は、・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方また東北の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ スピリットに憑かれたように、幾千の万燈は軒端を高々と大群衆に揺られて、後から後からと通りに続き、法華経をほめる歓呼の声は天地にとよもして、世にもさかんな光景を呈するのである。フランスのある有名な詩人がこの御会式の大群衆を見て絶賛した。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・作者が肉体的に疲労しているときの描写は必ず人を叱りつけるような、場合によっては、怒鳴りつけるような趣きを呈するものでありますが、それと同時に実に辛辣無残の形相をも、ふいと表白してしまうものであります。人間の本性というものは或いはもともと冷酷・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私はこのごろ学生たちには、思い切り苦言を呈する事にしている。呶鳴る事もある。それが私の優しさなのだ。そんな時には私は、この学生に殺されたっていいと思っている。殺す学生は永遠の馬鹿である。 ――はなはだ、僕は、失礼なのだが、用談は、三十分・・・ 太宰治 「新郎」
・・・下のほうからカメラを上向けに、対眼点を高くしてとったために三人の垂直線が互いに傾き合って天の一方に集中しようとした形に現われ、しかも三人の頭が画面の上端に接近しているのでいっそう不思議な効果を呈するのである。これが単にちょっと一風変わった構・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それからこれは少し変なものではあるが猫の毛並みにも時として週期性の縞状の疎密を呈することがある。あれもこの皺の問題といくぶん連関しているらしく思われるが詳しいことはわからない。これも一つの問題ではある。 裂罅、あるいは「われめ」の生成は・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・器械全体の大きさに対してなんとなく均衡を失して醜い不安な外観を呈するものである。一寸法師が尨大なメガフォーンをさしあげてどなっているような感じがある。これが菊咲き朝顔のように彩色されたのなどになるといっそう恐ろしい物に見えるのである。 ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・そうすると、ちょうど荷物の包み紙になっていた反古同様の歌麿や広重が一躍高貴な美術品に変化したと同様の現象を呈するかもしれない。ただ困った事には、目で見ればわかる絵画とちがって、「国語」を要素とする連句がほんとうに西洋人に「わかる」見込みはな・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫