・・・もなくあるビルディングの地下室にある理髪店へ行くと、金縁眼鏡をかけたそこの主人はあなたのような髪は時局柄不都合であると言って、あれよあれよと驚いている間に、私の頭を甲型か乙型か翼賛型か知らぬがとにかく呉服屋の番頭のような頭に刈り上げてしまっ・・・ 織田作之助 「髪」
・・・彼女は、それぞれ試験がすんで帰ってくる坊っちゃん達を迎えに行っている庄屋の下婢や、醤油屋の奥さんや、呉服屋の若旦那やの眼につかぬように、停車場の外に立って息子を待っていた。彼女は、自分の家の地位が低いために、そういう金持の間に伍することが出・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 暮れになって、呉服屋で誓文払をやりだすと、子供達は、店先に美しく飾りたてられたモスリンや、サラサや、半襟などを見て来てはそれをほしがった。同年の誰れ彼れが、それぞれ好もしいものを買って貰ったのを知ると、彼女達はなおそれをほしがった。・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・それは十五年ばかり前に、村の呉服屋で買った、その当時は相当にいゝ袷柄だった。しかし、今ではひなびて古くさいものになっていた。ばあさんの手織縞とそう違わないものだった。「もっとましなやつはないんか?」「有るもんか、もう十年この方、着物・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・秋草さんのようなお店でも御覧なさいな、玉川の方の染物の工場だけは焼けずにあって、そっちの方へ移って行って、今では三越あたりへ品物を入れてると言いますよ――あの立派な呉服屋がですよ」 こう新七は言って、小竹の旦那として母と一緒に暮した時代・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 日本橋呉服町に在る宏壮な建築物の二階で、堆く積んだ簿書の裡に身を埋めながら、相川は前途のことを案じ煩った。思い疲れているところへ、丁度小使が名刺を持ってやって来た。原としてある。原は金沢の学校の方に奉職していて、久し振で訪ねて来た。旧・・・ 島崎藤村 「並木」
青森には、四年いました。青森中学に通っていたのです。親戚の豊田様のお家に、ずっと世話になっていました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなった「お父さ」は、私にずいぶん力こぶを入れて、何かとはげまして下さいまし・・・ 太宰治 「青森」
・・・ただ意味もなく、活動小屋の絵看板見あげたり、呉服屋の飾窓を見つめたり、ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと烈しくからだをゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふた・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・唐桟の単衣を一まい呉服屋さんにたのんで、こしらえてもらいました。鳶の者だか、ばくち打ちだか、お店ものだか、わけのわからぬ服装になってしまいました。統一が無いのです。とにかく、芝居に出て来る人物の印象を与えるような服装だったら、少年はそれで満・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・このような蒲団地は、今日ではもうたぶんデパートはもちろんどこの呉服屋にも見つからないであろう。それをわざわざ調製したのだそうである。小山書店主人のなみなみならぬ熱心な努力が、これらの装幀にも現われているようである。この異彩ある珍書は著者、解・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
出典:青空文庫