・・・それはかれこれ十年前にあった夏目先生の告別式以来、一度も僕は門の前さえ通ったことのない建物だった。十年前の僕も幸福ではなかった。しかし少くとも平和だった。僕は砂利を敷いた門の中を眺め、「漱石山房」の芭蕉を思い出しながら、何か僕の一生も一段落・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・クララが今夜出家するという手筈をフランシスから知らされていた僧正は、クララによそながら告別を与えるためにこの破格な処置をしたのだと気が付くと、クララはまた更らに涙のわき返るのをとどめ得なかった。クララの父母は僧正の言葉をフォルテブラッチョ家・・・ 有島武郎 「クララの出家」
八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事ではあるけれども、その当時の新聞紙が、それについて多少の報道を公けにしたのであるが、また聞きのことでもあるから全く誤・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・それでは俺たち四人は戸部とともちゃんとに最後の告別をしようじゃないか。……戸部、おまえのこれまでの芸術は、若くして死んだ天才戸部の芸術として世に残るだろう。しかしそこでおまえの生活が中断するのを俺たちはすまなく思う。しかしその償いにともちゃ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・葬儀は遺言だそうで営まなかったが、緑雨の一番古い友達の野崎左文と一番新らしい親友の馬場孤蝶との肝煎で、駒込の菩提所で告別式を行った。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪内博士も参列し、緑雨の最も莫逆を許した幸田露伴が最も悲痛な・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・荒木はその家の遠縁に当る男らしく、師匠に用事のある顔をして、ちょこちょこ稽古場へ現われては、美しい安子に空しく胸を焦していたが、安子が稽古に通い出して一月許りたったある日、町内に不幸があって師匠がその告別式へ顔出しするため、小一時間ほど留守・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・されどまた七日の後には再び来たりておもむろに告別せんと青年は嘆息つきて深く物を思えるさまなり、翁ははたと手を拍ち、しからばいよいよ遠く西に行きたもうこととなりしか。否、西にあらず、まず東に行かん、まずアメリカに遊ぶべし、それよりイギリスに、・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・亡くなった本郷の甥とは同い年齢にも当たるし、それに幼い時分の遊び友だちでもあったので、その告別式には次郎が出かけて行くことになった。「若くて死ぬのはいちばんかわいそうだね。」 と、私は言って、新しい仏への菓子折りなぞを取り寄せた。私・・・ 島崎藤村 「分配」
変心 文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。 その帰り、二人の男が相合傘で歩いている。いずれも、その逝去した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就いての、極めて不きんし・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 四 ある家の告別式に参列して親類の列に伍して棺の片側に居並んでいた。参拝者の来るのが始めのうちは引切りなしに続いてくるが三十分もたつと一時まばらになりやがてちょっと途切れる。またひとしきりどかどかと続いて来・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫