・・・と私はてれ隠しに呟き、「おい、バスが来たようだ。あれに乗ろう!」と勇んで友人達に号令し、みな道端に寄って並び立ち、速力の遅いバスを待って居ました。やがてバスは駅前の広場に止り、ぞろぞろ人が降りて、と見ると佐吉さんが白浴衣着てすまして降りまし・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ ぼんやり外の暗闇を見ながら、ひとりごとのようにそう呟き、けれども、その男のひとの総身の力は既に抜けてしまっていました。「すみません。どうぞ、おあがりになって、お話を聞かして下さいまし」 と言って私は式台にあがってしゃがみ、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・少くともそれは二十世紀の今日洋服を着て葉巻を吸いながら聞くわれわれの心に響くべき三味線の呟きである。さればこれを改良するというのも、あるいはこれを撲滅するというのも、いずれにしても滅び行く三味線の身に取っては同じであるといわねばならぬ。珍々・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・と遊ぼうね」「公園に行こうね、おしゃるしゃんとあそぼうね」 子供は、吉田の首に噛りついたまま、おしゃるしゃんと遊ぶことを夢に見ながら、再び眠った。 中村は「困るなあ、困るなあ」と呟きながら、品物でも値切るように、クドクドと吉・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・ 蠍がゆるく呟きました。「大烏めは死にましたか。」 チュンセ童子が少し怒って云いました。「まだそんな事を云うんですか。あなたこそ死ぬ所でした。さあ早くうちへ帰る様に元気をお出しなさい。明るいうちに帰らなかったら大変ですよ。」・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・常識では、まあ何と云う風だろう、と呟きながらも、心が自ら眼を誘うような独特な魅惑が、ああいう服装にはあるべき筈だし、又、あらせ得ると思う。 真個の女の人が扮しているのだから、洋服でも、河合武雄の着る洋服ではない型と味いとを見たい。 ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・という思いを、屈托した不平の呟きとせずこの際、それを条理をもって整理して見てはどうだろう。それが必然だからこそ、自分たちでやって行くに適当した社会的な方法を見出さなければならないという一歩の前進がそんなに不可能なことであろうか。 食物の・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ 三好十郎の毒舌が呟きに終り、中野好夫が沈黙するのも、現在より多く否定的な文学現象でしかあらわされていない文学の動きの中にさえ、明日の文学がよりひろい社会的実在として展開することを期待する心が働いているからである。 民主主義文学の運・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ 心の中で愉しい独りごとを呟きながら、もう姿も見えない小僧の跡をたどって、私もそろそろもと来た方に還り始める。―― それにしても、このような空想的遠征を、旧銀座通りの白昼にしたのは、私ばかりであったろうか。 身なりもかまわず・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・お霜は呟きながらまた大根を切った。「米を何んぼ出しとこう?」「連れて来るものがないと、終いにゃあんな乞食の病人引っ張って来さらして!」「米をよ。」「一斗でええ。」とお霜はわが子に怒鳴り出した。八 夜、お霜が秋・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫