・・・藤村氏は、それらに対する味到の心持をのべている。その現実に対する角度は、芭蕉のように身を捨てて天地の間に感覚を研ぎすました芸術家の生涯にある鋭い直角的なものではなく、謂わば芭蕉を味うその境地を自ら味うとでも云うべき、二重性、並行性があり、そ・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・ 茶道の名人達は、その感情を深く味到したのだろう。悲しい事に、今日東京に住む私共は、全然野生に放置された自然か、或は厭味にこねくられた庭か、而も前者はごく稀れにしか見られないと云う不運にあるのだ。 ジョージ・ギッシングは、非常に・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・我から粋を味到した者としての自覚から氏は粋の研究に志したらしく見える。そして様々の方面から粋なるものをうち眺め、遂に、この粋というものこそ味到されるべきものであってヨーロッパ風の分析、綜合のみでは不可解なところに日本的な特質があると云ってい・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・役には立たず、それを憧れ、信仰し、永遠の青春として味到してはじめて血肉となるのであるから、例えば「日本的なるもの」の解釈に当って、その問題の発生を社会的な原因の面からだけ見るような一部の批評家、戸坂潤、岡邦雄の如きは反動であるという意見なの・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・のである。そうしてそれが、たとい時に彼を宗教へ向かわせるにしても、結局宗教芸術に現われた、「永久味」の味到に落ちつかせる。彼においては美の享楽が救いである。彼の求める「土台」は美において、最も深い「美」において、得られるのである。彼からこの・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・だからこの美しさに味到した人は、しばしば逆に伎楽面を浅ましいと呼ぶこともある。能面に度を合わせた眼鏡をもって伎楽面を見るからである。 もし初めからこの両者のいずれをも正しく味わい得る人があるとすれば、その人の眼は生来自由に度を変更し得る・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫